晃朗 佐古田 晃朗 佐古田

近頃のこと──東京へ・宮城へ・われわれとその世界の孔についてのメモ書き

また新しい春がやってきて、ここにとどまっている。

しかし、まだ4月が始まったばかりだというのに、夏の気配を持った1日が(ときには夏そのものが)やってくることがある。いつかそのときが来るのだから、そんなに早まらなくてもいいじゃないかと夏に相談、というよりはお願いをしたいと思う。夏を拒んでるわけではない。ただ、まだここには春がとどまっていてほしい。あるいは、ゆるやかに過ぎ去っていってほしい。

ドラスティックな変化は必要がない。少しずつ変わっていくものに、少しずつ自分をなじませていきたい。そして、そうやって少しずつ変わっていく自分に、いろんなものが少しずつなじんでいってほしい。

そう心から思う一方で、どうにもならない他性が、不確かさや定まらなさが、この世界には確かに存在する。ゆえに、どれだけそれを起こさないようにしても、ドラスティックな変化は不可避な出来事として生じる。それは例えば、早まってやってくる夏のことであり、かつて東北で起こった巨大な自然災害のことであり、まちで突如として声をかけてくる誰かのことでもある。

考えれば考えるほどに、われわれとその世界は根本的に孔だらけであり、たいていの場合、あまりにも無防備なのだと思う。この無防備さを問題化するにあたって、どうにかなりそうなものごとの領域を超えて、どうにもならないものごとへの多孔性とアチューンメントのあり方が問われ始める。


さて、この頃は予想してなかった慌ただしさの中にいて──それはとってもありがたいことなのだけど──身の回りで起こったことを反芻する時間が少なくなっている。しかしながら、そういう慌ただしさの中でこそ、まわり続けようとする歯車を無理矢理にでも止めて、そしてときには少し巻き戻して、何かを書きとどめたくなる。あるいは幼い頃のプールでの感覚を思い出す。みんなで同じ方向に歩いて引き起こした大きな渦、その中でふと流れに逆らうように立ち止まり、自分を過ぎ去っていく水の流れを確かに受け止めながら、これからやってくる水の流れを見つめている。そういった感覚の方がじっさいの状況に対して適切な表現なのかもしれない。
ともかく、ここで何が起こったのか、そして何が過ぎ去っていこうとしているのか、あるいはこれから何がやってこようとしているのか。そのすべてを捉えることはできなくても、それらに対して意識的でありたいと思う。近頃はこういうことばかり、つまりは流れゆく時間のことばかりを考えている。

今は夜の8時半を過ぎたところ。予定よりも早くに作業を終えて、ベーコンと舞茸のパスタをつくった。にんにく・オリーブオイル・ベーコンでつくったベースを舞茸、パスタ麺の順に吸わせ、合わせる。パスタは明確に構造化された料理だと思う。オリーブオイルとパスタ麺の多孔性がその構造を担保している(このパスタにおいては舞茸の多孔性も重要である)。

今日はこれから、仕事で東京から京都に戻ってきている友人と、学生時代に驚くほど通ったお店で会うことになっている。僕は今年度も変わらず京都にいて、彼は東京に行って4年目になった。そのあいだに、お互いにおいていろんなことが少しずつ変わっていったように思う。彼は例のごとく会食が長引いているようで、いったい何時に会うことになるのかわからない(別の友人によると、会食は「のびるもの」らしい)。
先にお店に行って、ひとりで過ごしていても良いのだけど、今日は彼から連絡がくるまで、自分を過ぎ去ろうとしている水流を感じ、書きとどめておこうと思う(ここではさしあたり、この感覚を採用することとする)。当然のことのように、大切なことは何ひとつ書けないように思うのだけど(一時的意志により不可能でありながら、ひょっとすると永久に不可能なのかもしれない)、それでも、書かれ得なかったことたちのためにその周縁を書く、ということがあるのだと思う。そうでなかったら、あんまりじゃないだろうか…。

さて、今年度も寡作にならないように、たくさん書きたいし(ここに書くテキストは論考を増やしたい)、たくさん描きたいし、たくさん撮りたい(たくさん印刷したい)。そしてたくさんのものごとをつくりたい。はて、いったいぜんたい、どうなるんだろう。

東京へ──豊橋・由比・茅ケ崎・東京

3月の終盤、とあるアートプロジェクトにお誘いをいただいて宮城県を訪れる機会があった。直前まで、集合の前日に飛行機に乗って、仙台まで飛んでしまおうと考えたのだけど、今年度は春休みと呼べるような時間もなかったように思うし、都合よく集合の数日前から予定が空いたので、青春18切符を使ってひとまず東京へ、途中下車を楽しみながら向かうことにした。ここにはその断片的なスケッチを書き残しておこうと思う。


夕方ごろ、由比駅で降りてみることにした。国道1号線と東名高速道路、そしてJR東海道本線が駿河湾に近づくところ。

ここで降りてみたらきっと良いのだろうと、この場所を通るたびに思っていたのだけど、実際に降りたことはなかった。というよりは、降りられたことがなかった。それでも、その日は降りることができた。それはとっても素敵なことだった。とっても。

小さな駅の北側に出て、先の3本の長い線を潜り抜けるようにして由比港へと歩いた。
港はとうぜん、すでにその日の活動を終えていた。そこから駿河湾沿いに架けられた東名高速道路を見る。ガードレールによって背の高いトラックの存在だけが感じ取られる。その先には、──僕はそう感じたのだけど──とてもおだやかな空が広がってた。それらは防波堤に囲まれ、動きの少ない水辺の様子(ある種の内海)と重なり合って、妙に単純化された風景をつくり出していた。

そこで過ごしていると、その単純化された風景の持つ雰囲気のようなものが自分の心に映し出されていくのがわかる。そうやってお互いが響き合っていく。単純化された風景は、特定の心情としか響き合うことができない。あるいは、特定の心情をわれわれの心の中に映し出そうと試みる。われわれは、それを受け入れることによって、その風景とアチューンメントすることができる。響き合うことができる。

ここには、雑然とした風景と対するのとは異なる種類のアチューンメントが存在している。由比の単純化された風景。

その日は結局、もう少しだけ電車に乗って、茅ケ崎駅の近くに泊まることにした。
宿に数日分の荷物を詰め込んだpatagoniaのバックパックを置いたころにはもう、ずいぶんと遅い時間になっていた。そのまま眠ってしまいたいような気もしたけれど、外で夜ごはんを食べようと思って、宿の近所にある中華料理屋に入った。

なんとも運が良いことに──もちろん外から吟味して選んだお店ではあったが──そこはとても素敵なお店で、おいしい中華料理を食べることができた。それはとっても嬉しいことだった。
他にも4,5組のお客さんがいたのだけど、そのみんなが「おいしかったよ」といってお店を後にしていた。確かにそう言いたくなるのもわかるような場所だった。そういう場所が、この世界には一定数存在する。さて、自分はどうしたのだっただろうか。よく覚えていない。


翌日はとても気持ちがいい天気だった。春らしい暖かさで、澄み切った青空が広がっていた。それで、茅ケ崎駅北口から南下し、住宅街を通り抜けて(この住宅街が不思議と魅力的だったことをよく思い出す)、茅ケ崎海岸へと向かった。

平日の午前中だったこともあってか、海岸には人もまばらでとても過ごしやすかった。

ひとしきり歩いたあと、仰向けになって砂浜に寝転んでしまうと、ほどよい日差しを全身で受け止めることに専念できて、それはもう背中から砂浜に根っこが生えてしまいそうなくらい心地良い時間だった。それで、じっさい、ここ場所に背中から根っこが生えてしまったらどういった問題があるのかについてひとしきり考えていた。それは例えば、雨のこと(仰向けなので特に)や冬の寒さのこと(数日前まで寒かったので)、そして砂浜から十分な栄養価が摂れるかどうかについて(人は土の栄養分だけで生きられるのだろうか。そもそもその頃にも人なのだろうか)。あるいは、根っこにいたずらをされてすぐに息絶えてしまうのではないかということについて(意のままにならない他性は、人にとってだけ意味を持つものではない)。

しかし、ほんとうにじっさいのことには、その日中に東京にたどり着いて、1件だけ用事を済ませないといけなかったし、明日の朝には石巻に行かなければならなかった。そういうわけでなんとか立ち上がって、もうひとしきり、自立二足歩行で海岸を楽しんだ後、湘南新宿ラインに乗って東京へと向うことにした。

東京。用事を済ませて、神田川から墨田川へと、とにかく歩く。また少しずつ、歩調を合わせていく。

そのままいつのまにか銀座にたどり着いて、お腹が空いていることに気が付く。
人混みの中で少しずつ歩調が乱れていく(ここでもまた、われわれはあまりにも孔だらけである)。

メキシコ料理が食べたいと思って、赤坂見附の地下にあるメキシコ料理屋に行く(美味しいメキシコ料理屋は地下にあることが多いと思う。極個人的見解)。
そこには、案外日本語より英語が得意なのです、といった具合の穏やかな店員さんがいて、年長者を祝う会を開いているらしい10人ぐらいの外国人グループがいた。そのグループは奇妙に思えるほど、お互いにお互いを気遣っているように思えたし、その中には車掌のような格好をした男性もいた(とても印象的な風貌)。
店内には窓が見当たらず、派手な色遣いの内装と、壁にかけられた植物の油絵がうっすらと目に入ってくる。入り続けている。

なんだか妙な雰囲気がこもったような場所で、その雰囲気はどこにも出て行きそうにないし、こちらもどこにも出て行けそうにもなかった。だんだんと、ぼんやりしてくる。ゆったりと座ることができるソファに、より深く沈みこんでいく。だんだんと、心地良い重さが生まれてくる。いったい、いつまでここにとどまっていることになるのだろう。そんな夢の中のような場所。

宮城へ──石巻・陸前高田・丸森

東京までの小旅行のあとは、先のアートプロジェクトに参加するため宮城県に向かった。東日本大震災と令和元年台風、その両被災地で活動を続けるアーティストとともに、石巻・陸前高田・丸森の3か所を訪れた。ここでの経験については、とある媒体に書かせていただく予定なので、ここにはひとまず写真を残しておこうと思う。

宮城での滞在の中でひとつ、とっても印象的だったこと。
初日の夜、石巻のとある場所でライブが企画されていた。ゲストは七尾旅人さんと友部正人さん。どちらも素晴らしい時間をもたらしてくれたのだけど、特に七尾さんによる Tracy Chapman 『Fast car』の日本語カバーが印象的で、とっても感動的だった(彼は「日本語化に成功した」と言っていたが、まさにその通りだった)。
残念ながら日本語化された音源が見つからないので、代わりにといってはおかしな話なのだけど、 Tracy Chapman 本人による『Fast car』を聞いている。もちろん、こちらも素晴らしい。しかしいつかもう一度、七尾さんによる日本語化された『ファスト・カー』が聞きたい。

われわれとその世界の孔についてのメモ書き(2022)

2022年3月13日、東鞍馬口通りを東向きに、白川通りに向かって歩いていた。
自宅で預かっていたとある写真家の作品を、とあるギャラリーで展示した後に、とある書店で展示することになっていて、今日はそのギャラリーと書店間での搬出入を手伝う日であった(僕が乗っているトヨタのウィッシュはそこそこ大きな荷物を積み込むことができるので、こういうときにも大活躍してくれる。あるいは、そのために僕が搬出入を手伝うことになる)。
それで、そのギャラリーは東鞍馬口通り付近にあるのだけど、搬出の予定時間よりも早くに着いたので、その近辺をあてもなく歩こうとしていた。

それで明確な目的もなく、ただ東鞍馬口通りを白川通りに向かって歩いていた。そして引き続き何も目的を持たないままにあるT字路に差し掛かったとき、その南側から原付に乗った男が飛び出してきて、僕に近づくなり「1000円くれませんか」と声をかけてきた。 5万円の入った財布を落として、原付のガソリンも切れかけているらしい(何かのランプを見せられたのだけど、それが何を示しているのか、よくわからなかった)。

とっさに、本当なのかと疑う。ただ、いったい何が本当なのかを疑っていたのか思い出せない。「僕ですか、僕も学生で困ってるんです」(学生でもお金に困っていない人はいくらでもいる)、「渡すんですか、貸すんじゃなくて」(問うべきことはそこではないことに、いち早く気付かなければならなかった)などと言ったあと、二つ折りの財布から千円札を1枚取り出して渡した。

お金を渡したことで、なにかお礼のようなことを言われた。僕はとにかく早くその場から立ち去りたかった。「せめてお名前だけでも」と言われ、名前を伝える。今すぐに立ち去りたかったが、そうしないわけにはいかなかった。そのあと彼は自分の名前を伝え、「またどこかで会ったら」と言って、やってきた通り、T字路を南に戻っていった(彼は修学院だか宝ヶ池だかに住んでいて、家に帰りたいと言っていた)。ヤマモトツヨシ、僕は彼の顔をまったくもって思い出せない。


そう、彼に声をかけられたときにはもう、今日この日までの戸惑いが決定されていた。
われわれの身体はあまりにも孔だらけである。ゆえに有無を言わせぬ他者の侵入を許してしまう。耳に穿たれた孔は、自分という存在の奥底の方にまで通じていて、他者の声が自分をその内部からじわじわと蝕むことを許してしまう。世界にはどうしようもない他性が存在し、それはあらゆる種類の孔を介してわれわれの内部に入り込み、ときにわれわれそのものを徹底的に変えてしまう。

この世界の孔だらけなあり方を、つまりは多孔性を意識的に問題化しなければならない。そうでなければ、われわれに残されるのは、世界に対して閉じた自己完結性を構築しようとすることになりかねない。しかしながら、そうやって閉じようとしてもなお、どうしようもない他性はやってくる。そのときにわれわれはまた、あまりにも無防備になってしまう。

そして、この多孔性を問題化することは、耳に穿たれた孔が保たれる世界を生きようとすることである。それも素晴らしいあり方で。それは例えば、愛する人に愛の言葉を囁き、そして囁かれる世界を保つこと。その言葉を自分という存在の奥底の方にまで響き渡らせて生きようとすること。その明快な幸せと喜びにおいて、他なるものと共に生きようとすること。

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Holy Hive - Be Thou By My Side

素敵な詩とメロディー。
ゆっくりと時間をかけて料理を作ること。たまに踊っちゃったりして。

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The Velvet Underground - Pale Blue Eyes / 『PERFECT DAYS』を見て

やっとその気になって、Wim Wenders監督の『PERFECT DAYS』を見ました。とても良い映画ですね。挿入歌もとても良かったです。本編での「Pale Blue Eyes」なんて最高でした。

記憶が新しいうちに、そしてまたいつか書くために、短くメモ書きをしておきます。


平山(役所広司が演じる主人公)の過ごし方には、なんというか、わかるところがあります。
自分の考え方に引き寄せて書くとすれば、それは「動きすぎないで多孔的になる」ということです。それは自分をとりまいているものに、確かに新鮮な目を向け続けようとする姿勢のことでもあります(もっと言うならば、shooshie sulaimanがいう「Fake」ということです)。
このことは、映画を通して平山が、動きすぎない存在、ある種のルーティン的存在でありながら、とても魅力的な存在として描かれていたことに示されていると感じました。ルーティン空間もまた、当然に孔だらけであり、そこには無数の入口と出口が存在しているのです。

ゆえに、多くの他者(トイレの利用者や同僚、姪っ子、木々、天候など)が、彼に影響をもたらす存在としてルーティンに入ってきて、そして出ています。そこにおける平山のあり方は、それらに対して開きすぎることも閉じすぎることもなく、ただそれらと「一緒にある (coexistence) 」という可能性を示しているものだと感じました。
そのことは例えば、トイレ掃除中に利用者が入ってくるシーン、それに続いてトイレ掃除を中断し、木洩れ日に視覚と意識をうつすシーンにおいて明快で印象的です。ある他者の侵入を起点として、異なる他者との多孔性へと開かれていくようなあり方が示されています。
ただ、それ以上に印象的だったのは、昼食時に同じような木々の写真を撮り続けるシーンでした。それは、他の人には同じに見えるものにおける差異を写真に撮り続けるということが、この数年間、僕も続けていることだからです(そうです。とうぜん、個人的な印象深さです。むしろそうでなければ書く必要がないのです)。僕にとってその対象は、たとえば足繫く通った大学キャンパスのある場所であり、かつては自室からの景色であり、今は天窓を過ぎていく空模様なのですがね。そろそろキャンパスともお別れの時期がやってきています。寂しいものです。ほんとうに、とても。

足繫く通った大学キャンパスのある場所 / Time Never Self-Contained

それはそうと、平山とニコ(姪っ子)との一連のシーンもとても魅力的なものでした。ニコは、上述した平山と他者の関係を客体化するうえで重要な存在となりました。
良い物語(表現形式を問わず)にはしばしば、年の差がある男女の慈しみ合いが描かれますが、そこにはなにか特別なものがあると感じます。映画館を出て、鴨川沿いであれこれと考えているときにはつい、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』での「僕」とユキの関係を思い出していました。こちらは親族関係ではないのですが、すごく魅力的なものです。2人がハワイで過ごす場面などは、そこだけでも読み返したくなります。
補足ですが、村上はルーティン的な主人公を描くことの多い作家だと思っています。なので彼の作品を思い出していたことは、恣意や偶然によるものではないのだと考えます。はて、恣意や偶然によるものではないものって、いったいなんなのでしょうか。

さて、話が逸れてきたので、戻しながら終わります。今日は長く書くつもりはないのです。
「多孔性」というのは「制御」と「開かれ」の狭間を捉えようとする概念だと思います。そういうことをしばらく考えてきた者として、平山という存在は、デタッチメントやニヒルでも、あるいは過剰なコミットメント(?)でもないあり方として、とても魅力的に見えました(そして、このことは建築空間における今日的な問いだと感じています。60年代後半には原広司が「有孔体理論」で大きな問いとして示していたんですけどね。さて、また建築の話をし損ねました)。

映画でも描かれましたが、ときには怒りで声を荒らげたり、悲しみで酒や煙草をのんでみたりするものです。そうでなければ、心の震えを失うのだと思います。そして、それでも自己が孔だらけであることをポジティブに捉えられることがいくつかあるのだとすれば、それは素敵なことなのだと思います。あるいはそう思いたいのです。

Wendersと村上春樹、原広司が自分の周りをふわふわと引き合って浮かんでいます。これはいったいどこに向かうんでしょうか。一旦、着地させたい気がしますが、それはまた今度。

「今度は今度、今は今」

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D.A.N. - Orange (Live)

D.A.N 『Sonatine』 (2018) は今も変わらず良い。ほんとうに。曖昧で鋭いフレーズ。

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「2つの異なる孔のこと」について書こうとしたこと

明日には読んでおきたい1章と、次の週末までに読んでおいた方がいい1冊がある。しかし、前者は遠く離れた大学の研究室に置きっぱなしで、後者はまだ手に入れてすらいない。さっき本屋に行って、その本を見つけたのに、結局買わずに出てきてしまった。


1年半ほど前、その本屋で働く人に、なにか入荷した方がいい本はないかと尋ねられ、少し悩んでから尊敬する建築家の作品集を推薦した。ほどなくしてその本は陳列され(律儀に面陳されていた)、今日、無くなっていた。とても喜ばしいことだった。でもほんとうは、自分が書いたものを推薦できれば何よりも良かったのだと思う(あるいは、それは品性を欠いたことなのだろうか)。

それはそうと、お勧めした身にもかかわらず、今日無くなっていたあの本は、最初に入荷されていたあの1冊だと考えていた。つまり、ただ1冊が入荷され、それがずっとそこにあって、何かの拍子に誰かに連れて帰られたのだと考えていた。しかし、僕がその本屋に行かないあいだにその本が売れ、新たに入荷されるということが繰り返されていたのかもしれない。あるいは最初に何冊も入荷していて、それがめでたく無くなったのを目にしたのが今日だったのかもしれない。店の在庫管理をしているわけではないのだから、真偽は不確かで不明のまま。どちらにせよ、なんだか責任を果たせたような気がして嬉しかった(売れないと考えて陳列しなくなったのだとしたら悲しいし、その場合は僕が買いたい)。

そしてこれは一般論だが、「無いこと」を上手に認識することはとても難しい。それは決定的に時間と関わる問題になるから。

それはそうと、読むべきものがある。そういう現実はあるのだけど、ついつい『風の歌を聴け』を読み返して(先日も同じことをした)、自宅の改修について考え、なんだか奇妙に多幸感のあふれるハウス・ミュージックのミックスを聴いている(というよりも見ている)。

久しぶりに、音楽に包まれた空間で会話を少なくして過ごしたいし、楽しく料理をつくりたい。

そう、最近は皮と芽がついたにんにくを使って料理をすることに取り憑かれていたのだけど、有識者に食べ過ぎは良くないと注意され、少し控えめにしようと考えている。にんにくを使わず、それでいて楽しい料理の仕方を考えないといけない(きっと、いくらでもある)。生姜とかどうなんだろうか。スパイスも良いかもしれない。食材というよりは、そのベースとなる何かで楽しむことばかりをイメージしている。


さて、前段が長くなって良い具合に日が傾いている。外に出たい。

今日は気分転換に「2つの異なる孔のこと」について書こうとしていた(残念ながら、読まなければいけないものとは関係がない)。それは単純化すれば、「私」がよく動く多孔性と、「私」がそれほど動かない多孔性について。前者を認めながらもその安易さと危うさを、そして後者の困難さとその意義を、あらためて考えたかった。例によって、少し抽象的に書かざるを得ないだろうと思っているのだけど、人も事もうごめく年度末にぴったりのテキストだと思っていた。建築や場所、空間の話であって、自宅の改修と密接に関わることも、今書きたいと思う理由の1つだった。

そして、これも修士論文の副産物だった。わりと早い時期から考えていたことで、そのときのメモ書きを起点にしていったん書いてみようと思っていた。

でも今日はもう満足したので、イメージだけを残してまたいつかの日に。早い方がいいのだけど、また今度。

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近頃のこと──にんにく、読書会、『Nomadland』、トヨタのウィッシュ、『Blonde』、あるいは建築のこと

少し遠くに思える場所を旋回しながら、建築の話をしたいと思っている。

いまさら言うまでもないが、驚くほどすべてのことが建築(的)である。そんな中でも、建築にこそできることがあるのだという考えを意識的に持とうと、あるいはそれを捉えたいと考えている。近年、他分野の人と関わる機会が増えることで、その考えはより一層強くなった。一方で、今日的な正義を背負って建築を捉えているようで、もはや建築である必要がなくなっているものがある。それも、とてもたくさんある。こうした感覚も、日に日に大きくなっている。

そういった考えを背景に修士論文を書いて、先週、大学に提出した。思いのほか頑張って書いたので、あらためてここに焼き増しのようなことを書くのはどうかと思っている。なので、論文には書けなかったことを中心にして、少し遠くを旋回するように建築の話をしようと思う。ただ、続くテキストの補助線としてひとことだけ書いておくとすれば、どこまでいっても、「私」に立ち返らなければならないということである。


にんにくの香りをオリーブオイルにうつすこと

去年からにんにくを買うようになった。皮と芽がついている、あの種のにんにく。ずっと前からそうするべきだったと思う。こういうことは驚くほどたくさんあるのだけど、皮と芽がついたにんにくというのは、その中でも重要なことのひとつだった。

つまりこれは、にんにくチューブではなく、皮と芽がついた、あのにんにくだからこそ感得可能な何かについての話である(にんにくチューブを批判するつもりはありません。どうぞご注意ください)。

僕にとってのにんにくは、今のところは、とりわけパスタとの関係において存在している。最近はパスタをつくっている時間がとにかく楽しい。ちょっと前は、コンビーフライスをつくることが楽しかった。とある素晴らしいカフェで提供されているものを真似ようとしていた。そして今もよくつくっている。でも最近は、とにかくパスタをつくることが楽しい。オリーブオイルとにんにく、唐辛子、細かく刻んだベーコン、ブロッコリー、あとは4つ割りにしたトマトによるパスタ。たまに、ブロッコリーがアスパラガスに変わったり、野菜を減らしてカルボナーラ風にしたりもするのだけど、とにかくそのパスタを繰り返し繰り返しつくっている。食事のメニューが極端に少ない喫茶店みたいなものだ。


そう、にんにくの話をしようと思っていた。それもパスタにおけるにんにくの話。すべての食材に共通のことだが、にんにくの現れ方は、その下処理のされ方と特に密接な関係にある。大きいままつぶしたり、薄くスライスしたり、細かく刻んだり、すりつぶしたり…。まずこれを考えるのが楽しい。

しかし、それよりも大切なことには、にんにくの香りをオリーブオイルにうつすというあの工程がある。(僕の場合は)5分ほど弱火にかけて、オイルとにんにくを関係づけていくあの工程。もちろんチューブのにんにくでもこの工程は行えるのだけど、はっきり言って、味気ないし、面白くない(それでもにんにくチューブを批判するつもりはありません。どうぞご注意ください)。

それはそうと、にんにくの香りをオイルにうつす工程って、いったいなんだろう(どうでもいいことだけど、僕がにんにくチューブを開発できるような人間だったとしたら、その工程が済んだオリーブオイルを商品化するだろうし、現にそういう商品は必ずある。調べなくてもわかる)。
その工程はとにかく楽しい。火にかけると、少しずつにんにくの香りが出てくる。ただ、火・にんにく・オイルの関係を注意深く見守りながら、良い頃合いがくることを待っている。そんな工程である。そしてこの工程の出来が、パスタの味に決定的な影響を与える。

パスタそのものは、どちらかというと強い存在、マッチョな存在ではない(筋肉質の諸存在を批判するつもりはありません。どうぞご注意ください)。あえて書くすれば、自己完結的というよりも、多孔的なのである。他の影響を受けやすい、緩やかな輪郭を持つ存在としてのパスタ。ゆえに、にんにくの香りをうまく引き出せるかが、パスタにとっても重要になる。しかしながら、にんにくの香りを引き出す工程において、「私」には必要以上の何かをすることができない。「私」にできることは、ただ火・にんにく・オイルの関係をアチューンメントし続けること。そのときどきの状況を注意深く見ること、前持って用意した正しさに当てはめないこと(たとえば料理の面白さは、こういうところにあるのだと思う)。


修士論文では、環境哲学者のティモシー・モートンを参照して、「私」と「私ならざるもの」の関係をアチューンメント(attunement)する重要性を論じた。もちろん、論文ではしっかりと建築のことも書いたのだけど、アチューンメントというのは、とうぜんに一般的な概念であり、特に料理と相性がいい考え方なのだと思う。


パスタにおける、火・にんにく・オイルのアチューンメント。緩やかで影響を受けやすい、多孔的な存在としてのパスタ。そして、それを食す「私」。そこには常に、より高次のアチューンメントがある。

そういう小難しい話はともかく、夜に控えめな音量で音楽をかけて、にんにくの香りをオリーブオイルにうつしている時間はなかなか良いものだ。いろんなものとの関係がアチューンメントされていく気配がある。
この数か月、あれこれと忙しなくしていて外食が多かったけれど、しばらくはできるだけ家でご飯を食べたい。そしてこれを機に、後回しになっているキッチンの改装を進めて、ダイニングテーブルをつくろう。そうやって、いつか起こるかもしれない未来を、たとえば誰かを招いてご飯を食べる機会を見据えたい。

建築をつくるということは、「私」と「私」による、時間を超えた約束事なのだと思う。

それはそうと、そのときにはワインも買わなければ。
ワインは良い。ずっとウィスキーやビールを好んできたけれど、最近はワインを飲みたいと思うことが多い。

読書会のこと/「Anthropocene landscapes」と「Holocene fragments」

昨年から、人類学者であるAnna Tsingへのインタビューを扱った読書会をやっている。

隔週ペースの開催で、すでに半年が経った。そして英語で書かれたものだとはいえ、まだ6ページしか進んでいない。これはとんち話ではなく、ごく一般的なサイズの6ページであって、ましてやインタビュー(口語)である。さすがに遅い。ただもちろん、このことに不満があるわけではなく、ただその事実を書いてみたかっただけである。いつも枝葉の話が盛り上がりすぎるような、有意義で楽しい会になっている。

先日の会では、「Anthropocene landscapes」と「Holocene fragments」という重要な話が出てきた。訳すとすれば「人新世のランドスケープ」と「完新世の断片」だろうか。それらについて、例のごとくあれこれと話していた。そうしているうちに、良い頃にはこれらについてのまとまった文章を書くべきだと感じた。

というのも、今日の日本の建築界における奇妙な分断、というよりはねじれを(僕はそれがあると感じている)、うまく説明できるような気がするのだ。もちろんこれは、何かが正しくて、何かが正しくないといった単純な議論ではない。ただ、僕の考えているような「今日的な正義を背負って建築を捉えているようで、もはや建築である必要がなくなっているもの」が確かにあるとすれば、それは「Holocene fragments」と密接な関係にあるものだと思う。つまり、「今日的な正義を背負った試み」の多くが「Holocene fragments」にしがみつこうとすること、あるいはそれを拡張しようとすることに帰着しているのではないかということである。

さて、また自分以外には解読不能であるような文章を書いてしまったようで悲しいのだけれど、ちょっとしたメモ書きとして、たまにはこういう文章をこの場所に書くことを認めたい。

読書会後は、いつも近くのカフェでランチ。カツサンド。

『Nomadland』のこと

久しぶりに『Nomadland』を見た。
公開以来、自分の中で重要な映画であり続けていて、見るたびに異なる考えがかたちづくられる。『Nomadland』について書き始めるとほんとうにキリがないのだけど、今日は引き続き、メモ書き程度に2つのこと書いておこうと思う。前から考えていることと、いま考えたこと。

『Nomadland』は、北アメリカ大陸の広大なランドスケープの中を、車とともに生きていく様子が印象的な映画だ。
ただ、(僕が思う)決定的な場面では、ファーン(フランシス・マクドーマンドが演じる主人公)は車から降りている。あるいは、車が登場しない。友人に声をかけられながら歩く場面、海沿いの崖地をひとりで歩く場面(この場面はほんとうに辛い)、そしてかつて暮らしたネバダ州のエンパイア、家に戻る場面。
一方、思い出を反芻する場面では車内のカットが増える。写真を見返し、思い出の物を愛でる。車は過去を詰め込んだものとして描かれる。

そのようにして、絶えず移り変わる広大なランドスケープ、あるいは外の世界に対し、車という空間が保持する完結性と過去が強調されている(車の完結性を批判するつもりはありません。どうぞご注意ください)。

そしてもう1つ、ファーンが暮らしていた場所のこと。
鉱山の採掘場が閉鎖され人が消え去ったエンパイアという場所。それはまさに「Anthropocene landscapes」だった。

『Nomadland』は、多義性に富んだ映画だと思う。そしてそれは、映像だからこそできることに基づいて生まれている。

トヨタのウィッシュのこと

『Nomadland』では、決定的な場面においてファーンが車から降りていると書いた。だけど、それは映画における車の重要性を揺るがすものではない。 車は確かに存在するし、変わらず重要なものである。

そして僕も、トヨタのウィッシュと日々を過ごしている。
それはかつて、われわれ家族のための車だった。時が経ち、今では僕にとって欠かせない存在になっている。しかしながら、とても悲しいことなのだけど、それとの別れが近づいていることも確かである。まだまだ一緒にいてもらいたいが、メンテナンスだけではどうにもならないことがあるのだろうと身構えている(とつぜん爆発してしまったらどうしようと考えることもある)。ただ、スクラップされることは何とか避けたい。それは家と、あるいは建築と同じことだ。画一的な破壊や画一的な再生ではない道を見出したいと思っている。

それはそうと、近頃、ウィッシュとのこと、あるいはウィッシュでのことをあれこれと思い返していた。同じく近頃考えている、入口/出口との関係において。たとえば、このウィッシュと何らかのかたちでずっと一緒にいられるとしたら、この入口/出口の話に何らかのケリをつけられるのだろうか…。

車に限らず、あらゆる空間・場所で起こっていることは、何かが入ってきて、そして出ていくということなのだといえる。かつて海だった場所に大陸がやってきて、またいつか海になる。地面からは木々が生え、そのうちに枯れる、あるいは刈られる。雨は降った後にだけ止むことができて、建築は建てられて壊される。

車には、ドアという明確な出入口があって、別の場所への移動というそれらしい目的が備わっている。それゆえに、出入りが頻繁に、あるいは最もらしいものとして生じる。このウィッシュも例外ではない。多くの人やもの、あるいは雰囲気のようなものが入ってきて、そして出ていった。

そして、たいていの場合において、このウィッシュには「中身」が存在せず、「からっぽ」の状態に保たれている。明確な「中身」と言えば、積み込まれたCDと数冊の本くらいだ(ファーンが乗る車も、同じように「からっぽ」なのだと思う。「からっぽ」さを捉える時間尺度が、僕のウィッシュとは異なるのだけど)。

修論で参照していたベンヤミン,ラツィスによる『ナポリ』—それはイタリアの都市、ナポリを多孔質だと論じるものだった—にも、似たようなことが書かれていたのを思い出した(いま、手元にないのがとても残念)。多孔性は「からっぽさ」と密接に関わっている。

ごく簡潔に書くと、過剰な多孔性は何1つ確かなものをとどめておくことができず、「からっぽ」になってしまう。車には、その傾向があるのだと思う。明確な出入口と、移動というそれらしい目的によって。一方で、このウィッシュは存在している限り、何かが入ってくる可能性に開かれている。あるいは、出ていったもののなかには、もう二度と入ってこないであろうものがある。時間や場所、そして事。

決して、悲しいことや寂しいことを書いているのではないのだけど、「入口と出口」とか「からっぽ」という言葉が潜在的に持つ物寂しい雰囲気が、このテキストにも入り込もうとしている。書かれることもまた、多孔的になってしまう。

フランク・オーシャン『Blonde』より、「White Ferrari」を聴いていたのだと思う

フランク・オーシャン『Blonde』のこと

修士論文を書いているあいだは、何度も何度もフランク・オーシャンの『Blonde』を聴いていた。いまさら言うまでもないが、とにかく素晴らしいアルバムで、「『Blonde』のおかげでこの数か月を何とかやってこられました」とフランクに感謝を伝えたいぐらいだ。彼とその音楽に対してこういう想いを持つ人はきっとたくさんいるんだろう。

『Blonde』は多孔性の良い例だと思う。色んな自分に引き裂かれながらも、一貫して「私」にとどまっている。それでいて、周囲のざわめきにも意識的である。

「私」にとどまりながらも他に意識的になること、それは修士論文で書いたことの1つだった。
本論の中で直接的に引用したわけではないのだけど(その技量は今の僕にはない)、『Blonde』はそういった考えを支えてくれるものであった。「私」にとどまりながらも自己完結性を乗り越え、多孔的になっていくこと。

それは一歩間違えば、とても危険な考え方になりうる気もする。でも小難しいことは一旦わきに置いておいて、ひとまずしばらくは、素直にやっていこうと思う。まずは京都を離れて、どこか別の場所に行った方が良い。たとえばハワイに行ければいいのだけど、それはちょっと難しい。

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晃朗 佐古田 晃朗 佐古田

入口と出口、とどまること

ここのところ、あれこれと落ち着かない日々を過ごしていた。
数日前には修士論文の公聴会があった。それから溜まっていた仕事をなんとかひと段落させて、今は論文の最終提出まであと10日のところにいる。ひと息つくには良い頃だった。それで1ヶ月ぶりに、お気に入りの喫茶店に来た。2月に入って少し値上がりしたようだけど、お店は変わらずそこに存在していた。そのことで、まずは安心した。

運良く窓際の席が空いていた。そこに座ると、窓の先には阪急電車のプラットフォームが見える。ときどき電車がやって来て、少しとどまって、去っていく。線路とプラットフォームによる、明快で間違いようがない入口と出口がある。そして大抵のものが長くはとどまらない。批判するつもりもなく、ただ、せわしない場所だと思う。

そういうせわしない場所が世の中にはたくさんある。というよりも、ほとんどの場所がそうなのだといえるかもしれない。

あるいはそれは、こちら側がどういう時間尺度で場所を見るのかという問題でもある。
日本列島はたかだか3000年前にその輪郭が生じたもので、ある建築は100年そこらしかそこに存在できなかった。そして人はせいぜい100年程度しか生きられないし、僕はもう26年も生きている。あるいはまだ、26年しか生きていない。


ちょうど5年前、同じように落ち着かない日々を過ごしているあいだに、好きだったカフェが閉業していたことを思い出していた。

頻繁に通っていたわけではなかったのだけど、とにかく落ち着くことができる場所だった。僕の知る限りにおいては口数の少ない店主がいて、創作どんぶりがつくられていた。そしてコーヒーとクリーム・ブリュレが美味しかった。あとは沢山の本があって(小説はだいたい単行本だった)、座り心地の良い、造り付けの椅子があった。

そのカフェは、それらを自由に持っていってくださいというふうにして閉業した。それがその場所の出口を示していた。

長い潜水のような日々の後、久しぶりにそこに行くと、すでにその状況があった。仕方がないことであったし、悲しいことだった。そして何ひとつ持って帰らなかった。ずいぶん迷った末にそうしたことをよく覚えている。結局、僕があのカフェで創作どんぶりを食べることはなかった。いつもコーヒーとクリーム・ブリュレだった。あとはときどき、ハートランド・ビール。


いろんな出口が思い出される。あるいは、いろんな出て行き方が。
どうにも入口より、出口のことを考えてしまう。


この喫茶店は、たかだか1か月やそこらで、突如として無くなるような場所ではないと思えたし、みんなそう思っているようだった。それは確かにそうなのだけど、現実は不確かで脆い。そしてできることなら、そのことに自覚的でありたい。


後ろの席では、お店の人たちがなにやら作業をしている。それが何なのかはわからない。たとえば、伝票の処理なのだろうと想像するのだけど、もしかしたら見当違いかもしれない。


まだ書きたいことがあるのだけど、それがうまく整理できていない。いったい、なにを書いているのかもよくわかっていない。ただ、入口と出口のことが頭にある。


たとえば論文のこと。

残念ながら、論文を書くことに納得できる出口はなさそうだと感じている。あるいは見つけられそうにない。今となっては、社会的なまっとうさや教育課程上の義務によって、つまり外的な何かによって書いているわけではないのだから、当然なのかもしれない。これまた残念であり、幸運なことに、出口はもはや自分の中にしかない。言い換えれば、出口を自分で設定できてしまう。たとえば、安易で簡単なところに。

そして、頑張り続けることは案外難しい。生きていると少しずつ、自分を慰めるための息継ぎがうまくなっていく(また残念なことに、頑張ることを面白くない冗談の対象にする人が教員にもいて、否が応でも、そこからダメージを受けてしまう)。

さらには、頑張るだけではどうにもならないことがある。つまり、どこまで深く潜れるのかということがある。
それは何よりも大切なことでありながら、自分だけで何とかできるものではない。深く潜るためには、自分や自分の思考の前に立ちはだかり、ほぐし、解体してくれる存在が必要になる。僕にとってのそれは、数少ない尊敬できる建築家(指導教員)であり、なぜか気にかけてくれている先生であり、尊敬している先輩であった。論文を書くということは、彼らの存在無しには成立し得なかった(そして彼らの存在ゆえに、今も出口がない)。この恵まれた豊かさを、どう表現すればよいのかわからない。こういう場所に居られることが嬉しいし、彼らの真剣さによる優しさに感謝したいと思う。ほんとうに。

だからこそ、まだここにとどまらなくてはならない…。
いつになく不安で不穏な書き出しではあったけれど、思いのほか前向きな気持ちになれたのでよかった。

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金沢にて

Hotel Pacificにて / 向きをあわせること

金沢にあるHotel Pacificの一室にいる。

この部屋で、この文章を書き始めたのが2023年12月16日の午後17時ごろ。すぐにちょっとした食事会に出かけて、そこでは多くの「はじめまして」があって、今は17日の午前1時になっている。そうやって当たり前に時間は進んで、昨日に書いていたことも、これから書きたいことも、変わっていく。

ティモシー・モートンの来日講演に合わせて金沢にやってきた。

雨の中、京都から車で約4時間。昔、2年間ほど一緒に住んでいた先輩と乗り合わせてやってきた。かつては毎日のように顔をあわせていたのに、ふたりで会うというのは久しぶりで奇妙さを感じていた(あれこれ一緒の場にいることは多いのだけれど)。
たとえば、離れて生きることになったパートナーと久しぶりに会うということがあるとすれば、こういう風に感じるのでしょうか。


車の話からはじめたい。


車は良い。
もちろん、いろんな良さがあるのだけれど、たとえば、向きあうことを要請しない座席のあり方が良い。ある程度似た目的(地)があって、それゆえにある程度似た方向を向いている。フロントガラスから見える景色の、その先の方で視線がぼんやりと重なり合う。相手の姿が見えないということが、想像する力になり、自己完結的な傲慢さを取り除いてくれる。エンジンが生み出すリズムをもとに、お互いの調子を合わせていく。

向きあうことではなく、向きをあわせることのほうが、物事を良い状態にできることがあるのだと思う。細かい差異を内包しながら、大きな方向性を共有する。不必要に衝突させない。これは空間の問題でもあるのだと思う。つまり、建築の問題でもある。

とにかく、今はHotel Pacificの4階にあるこの部屋でこの文章を書いていて、さっきまでは回転円卓を囲んで中華料理を食べていて、明日はティモシー・モートンに会いに行く。そして今日はまだもう少し書きたいと考えている。

歩くことについて

大学にいる日はほとんど毎日、日没までの1時間を歩いて過ごしている。

どうやら最近は歩いているときにこそ、深い思考に入ることができるらしい。生まれてから25年間、ずっとそうだったんだろうか。そのことにこれまで気がつかなかったのだとしたら、ちょっとした不本意なことだ。でも、人は生まれてすぐには歩けないので、少なくともその時期は仕方がなかったことにできそうだ(そもそもその頃に何かを考えたりしてたんだろうか)。

ともかく、今は歩くことが、自分にとって重要な行為になっている。そして歩くこと、それをとおして、身の回りのものと調子を合わせていくことができるように感じる。車でのそれとは違うあり方で。

京都大学の桂キャンパスはとにかく歩くのにちょうどいい。車のことを気にせず歩けるし、人は少なく、そのわりに道は広い。いろんな種類の地面があって、道にほどよく高低差があるのもいい。長く真っすぐな道や階段は最高の舞台になる。

12月のはじめ、あれこれ刈られた草たちが、キャンパスのあちこちに積み上げられて、処分されるのを待っていた。その上に座ってみると、ふかふかでソファやベッドにちょうどよかった。晩秋の ──暖冬ゆえにそういうことにしたい── かりそめの場の思い出。


必要になったら電話をかけて

2023年11月18日、久しぶりの梅田。スカイビルとうめきたの工事。
レイモンド・カーヴァ―「必要になったら電話をかけて」が読みたくなって、読む。

歩くことについて

Time Never Self-Contained

鼠三部作を再訪すること

最近、ちょっとしたきっかけに因って、村上春樹の著作をいくつか再読することになった。 手始めに「風の歌を聴け」から読み直そうと思って、そこで思いがけず引き込まれて「1973年のピンボール」に「羊をめぐる冒険」まで読んでしまった。

「問題は」とジェイが言った。「あんた自身が変わろうとしていることだ。そうだね?」
「実にね」

村上春樹『1973年のピンボール』講談社文庫, 2004年, p.144

「歌は終った。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」

村上春樹『羊をめぐる冒険(上)』講談社文庫, 2004年, p.156

歩くことについて

日没前のキャンパスをなんどもなんども歩いていると、この時間のこの場所がいい、ということが浮かび上がってくる。 といっても、その時間と場所は天体の動きにともなって日々漸次的に変化していくわけなのですが。

たとえばそのひとつが、夕方に東から太陽の光がさすところ。大きな木の囲いの中、ふかふかした落ち葉の上。

膨れ上がったイチョウの木のこと、あるいは孔だらけの植物のこと

あのイチョウの木はもう葉を落としてしまったし、モンステラは孔だらけのままには留まらない。

歩くことについて

やがてその時がやって来て、積み上げられた草たちは、軽トラックに載せられてどこかへ行ってしまった。 積み込みの様子は不思議と美しいものだったのだけど、あまりにあっけないものだった。

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