入口と出口、とどまること
ここのところ、あれこれと落ち着かない日々を過ごしていた。
数日前には修士論文の公聴会があった。それから溜まっていた仕事をなんとかひと段落させて、今は論文の最終提出まであと10日のところにいる。ひと息つくには良い頃だった。それで1ヶ月ぶりに、お気に入りの喫茶店に来た。2月に入って少し値上がりしたようだけど、お店は変わらずそこに存在していた。そのことで、まずは安心した。
運良く窓際の席が空いていた。そこに座ると、窓の先には阪急電車のプラットフォームが見える。ときどき電車がやって来て、少しとどまって、去っていく。線路とプラットフォームによる、明快で間違いようがない入口と出口がある。そして大抵のものが長くはとどまらない。批判するつもりもなく、ただ、せわしない場所だと思う。
そういうせわしない場所が世の中にはたくさんある。というよりも、ほとんどの場所がそうなのだといえるかもしれない。
あるいはそれは、こちら側がどういう時間尺度で場所を見るのかという問題でもある。
日本列島はたかだか3000年前にその輪郭が生じたもので、ある建築は100年そこらしかそこに存在できなかった。そして人はせいぜい100年程度しか生きられないし、僕はもう26年も生きている。あるいはまだ、26年しか生きていない。
ちょうど5年前、同じように落ち着かない日々を過ごしているあいだに、好きだったカフェが閉業していたことを思い出していた。
頻繁に通っていたわけではなかったのだけど、とにかく落ち着くことができる場所だった。僕の知る限りにおいては口数の少ない店主がいて、創作どんぶりがつくられていた。そしてコーヒーとクリーム・ブリュレが美味しかった。あとは沢山の本があって(小説はだいたい単行本だった)、座り心地の良い、造り付けの椅子があった。
そのカフェは、それらを自由に持っていってくださいというふうにして閉業した。それがその場所の出口を示していた。
長い潜水のような日々の後、久しぶりにそこに行くと、すでにその状況があった。仕方がないことであったし、悲しいことだった。そして何ひとつ持って帰らなかった。ずいぶん迷った末にそうしたことをよく覚えている。結局、僕があのカフェで創作どんぶりを食べることはなかった。いつもコーヒーとクリーム・ブリュレだった。あとはときどき、ハートランド・ビール。
いろんな出口が思い出される。あるいは、いろんな出て行き方が。
どうにも入口より、出口のことを考えてしまう。
この喫茶店は、たかだか1か月やそこらで、突如として無くなるような場所ではないと思えたし、みんなそう思っているようだった。それは確かにそうなのだけど、現実は不確かで脆い。そしてできることなら、そのことに自覚的でありたい。
後ろの席では、お店の人たちがなにやら作業をしている。それが何なのかはわからない。たとえば、伝票の処理なのだろうと想像するのだけど、もしかしたら見当違いかもしれない。
まだ書きたいことがあるのだけど、それがうまく整理できていない。いったい、なにを書いているのかもよくわかっていない。ただ、入口と出口のことが頭にある。
たとえば論文のこと。
残念ながら、論文を書くことに納得できる出口はなさそうだと感じている。あるいは見つけられそうにない。今となっては、社会的なまっとうさや教育課程上の義務によって、つまり外的な何かによって書いているわけではないのだから、当然なのかもしれない。これまた残念であり、幸運なことに、出口はもはや自分の中にしかない。言い換えれば、出口を自分で設定できてしまう。たとえば、安易で簡単なところに。
そして、頑張り続けることは案外難しい。生きていると少しずつ、自分を慰めるための息継ぎがうまくなっていく(また残念なことに、頑張ることを面白くない冗談の対象にする人が教員にもいて、否が応でも、そこからダメージを受けてしまう)。
さらには、頑張るだけではどうにもならないことがある。つまり、どこまで深く潜れるのかということがある。
それは何よりも大切なことでありながら、自分だけで何とかできるものではない。深く潜るためには、自分や自分の思考の前に立ちはだかり、ほぐし、解体してくれる存在が必要になる。僕にとってのそれは、数少ない尊敬できる建築家(指導教員)であり、なぜか気にかけてくれている先生であり、尊敬している先輩であった。論文を書くということは、彼らの存在無しには成立し得なかった(そして彼らの存在ゆえに、今も出口がない)。この恵まれた豊かさを、どう表現すればよいのかわからない。こういう場所に居られることが嬉しいし、彼らの真剣さによる優しさに感謝したいと思う。ほんとうに。
だからこそ、まだここにとどまらなくてはならない…。
いつになく不安で不穏な書き出しではあったけれど、思いのほか前向きな気持ちになれたのでよかった。