金沢にて

Hotel Pacificにて / 向きをあわせること

金沢にあるHotel Pacificの一室にいる。

この部屋で、この文章を書き始めたのが2023年12月16日の午後17時ごろ。すぐにちょっとした食事会に出かけて、そこでは多くの「はじめまして」があって、今は17日の午前1時になっている。そうやって当たり前に時間は進んで、昨日に書いていたことも、これから書きたいことも、変わっていく。

ティモシー・モートンの来日講演に合わせて金沢にやってきた。

雨の中、京都から車で約4時間。昔、2年間ほど一緒に住んでいた先輩と乗り合わせてやってきた。かつては毎日のように顔をあわせていたのに、ふたりで会うというのは久しぶりで奇妙さを感じていた(あれこれ一緒の場にいることは多いのだけれど)。
たとえば、離れて生きることになったパートナーと久しぶりに会うということがあるとすれば、こういう風に感じるのでしょうか。


車の話からはじめたい。


車は良い。
もちろん、いろんな良さがあるのだけれど、たとえば、向きあうことを要請しない座席のあり方が良い。ある程度似た目的(地)があって、それゆえにある程度似た方向を向いている。フロントガラスから見える景色の、その先の方で視線がぼんやりと重なり合う。相手の姿が見えないということが、想像する力になり、自己完結的な傲慢さを取り除いてくれる。エンジンが生み出すリズムをもとに、お互いの調子を合わせていく。

向きあうことではなく、向きをあわせることのほうが、物事を良い状態にできることがあるのだと思う。細かい差異を内包しながら、大きな方向性を共有する。不必要に衝突させない。これは空間の問題でもあるのだと思う。つまり、建築の問題でもある。

とにかく、今はHotel Pacificの4階にあるこの部屋でこの文章を書いていて、さっきまでは回転円卓を囲んで中華料理を食べていて、明日はティモシー・モートンに会いに行く。そして今日はまだもう少し書きたいと考えている。

歩くことについて

大学にいる日はほとんど毎日、日没までの1時間を歩いて過ごしている。

どうやら最近は歩いているときにこそ、深い思考に入ることができるらしい。生まれてから25年間、ずっとそうだったんだろうか。そのことにこれまで気がつかなかったのだとしたら、ちょっとした不本意なことだ。でも、人は生まれてすぐには歩けないので、少なくともその時期は仕方がなかったことにできそうだ(そもそもその頃に何かを考えたりしてたんだろうか)。

ともかく、今は歩くことが、自分にとって重要な行為になっている。そして歩くこと、それをとおして、身の回りのものと調子を合わせていくことができるように感じる。車でのそれとは違うあり方で。

京都大学の桂キャンパスはとにかく歩くのにちょうどいい。車のことを気にせず歩けるし、人は少なく、そのわりに道は広い。いろんな種類の地面があって、道にほどよく高低差があるのもいい。長く真っすぐな道や階段は最高の舞台になる。

12月のはじめ、あれこれ刈られた草たちが、キャンパスのあちこちに積み上げられて、処分されるのを待っていた。その上に座ってみると、ふかふかでソファやベッドにちょうどよかった。晩秋の ──暖冬ゆえにそういうことにしたい── かりそめの場の思い出。


必要になったら電話をかけて

2023年11月18日、久しぶりの梅田。スカイビルとうめきたの工事。
レイモンド・カーヴァ―「必要になったら電話をかけて」が読みたくなって、読む。

歩くことについて

Time Never Self-Contained

鼠三部作を再訪すること

最近、ちょっとしたきっかけに因って、村上春樹の著作をいくつか再読することになった。 手始めに「風の歌を聴け」から読み直そうと思って、そこで思いがけず引き込まれて「1973年のピンボール」に「羊をめぐる冒険」まで読んでしまった。

「問題は」とジェイが言った。「あんた自身が変わろうとしていることだ。そうだね?」
「実にね」

村上春樹『1973年のピンボール』講談社文庫, 2004年, p.144

「歌は終った。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」

村上春樹『羊をめぐる冒険(上)』講談社文庫, 2004年, p.156

歩くことについて

日没前のキャンパスをなんどもなんども歩いていると、この時間のこの場所がいい、ということが浮かび上がってくる。 といっても、その時間と場所は天体の動きにともなって日々漸次的に変化していくわけなのですが。

たとえばそのひとつが、夕方に東から太陽の光がさすところ。大きな木の囲いの中、ふかふかした落ち葉の上。

膨れ上がったイチョウの木のこと、あるいは孔だらけの植物のこと

あのイチョウの木はもう葉を落としてしまったし、モンステラは孔だらけのままには留まらない。

歩くことについて

やがてその時がやって来て、積み上げられた草たちは、軽トラックに載せられてどこかへ行ってしまった。 積み込みの様子は不思議と美しいものだったのだけど、あまりにあっけないものだった。

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