近頃のこと──東京へ・宮城へ・われわれとその世界の孔についてのメモ書き
また新しい春がやってきて、ここにとどまっている。
しかし、まだ4月が始まったばかりだというのに、夏の気配を持った1日が(ときには夏そのものが)やってくることがある。いつかそのときが来るのだから、そんなに早まらなくてもいいじゃないかと夏に相談、というよりはお願いをしたいと思う。夏を拒んでるわけではない。ただ、まだここには春がとどまっていてほしい。あるいは、ゆるやかに過ぎ去っていってほしい。
ドラスティックな変化は必要がない。少しずつ変わっていくものに、少しずつ自分をなじませていきたい。そして、そうやって少しずつ変わっていく自分に、いろんなものが少しずつなじんでいってほしい。
そう心から思う一方で、どうにもならない他性が、不確かさや定まらなさが、この世界には確かに存在する。ゆえに、どれだけそれを起こさないようにしても、ドラスティックな変化は不可避な出来事として生じる。それは例えば、早まってやってくる夏のことであり、かつて東北で起こった巨大な自然災害のことであり、まちで突如として声をかけてくる誰かのことでもある。
考えれば考えるほどに、われわれとその世界は根本的に孔だらけであり、たいていの場合、あまりにも無防備なのだと思う。この無防備さを問題化するにあたって、どうにかなりそうなものごとの領域を超えて、どうにもならないものごとへの多孔性とアチューンメントのあり方が問われ始める。
さて、この頃は予想してなかった慌ただしさの中にいて──それはとってもありがたいことなのだけど──身の回りで起こったことを反芻する時間が少なくなっている。しかしながら、そういう慌ただしさの中でこそ、まわり続けようとする歯車を無理矢理にでも止めて、そしてときには少し巻き戻して、何かを書きとどめたくなる。あるいは幼い頃のプールでの感覚を思い出す。みんなで同じ方向に歩いて引き起こした大きな渦、その中でふと流れに逆らうように立ち止まり、自分を過ぎ去っていく水の流れを確かに受け止めながら、これからやってくる水の流れを見つめている。そういった感覚の方がじっさいの状況に対して適切な表現なのかもしれない。
ともかく、ここで何が起こったのか、そして何が過ぎ去っていこうとしているのか、あるいはこれから何がやってこようとしているのか。そのすべてを捉えることはできなくても、それらに対して意識的でありたいと思う。近頃はこういうことばかり、つまりは流れゆく時間のことばかりを考えている。
今は夜の8時半を過ぎたところ。予定よりも早くに作業を終えて、ベーコンと舞茸のパスタをつくった。にんにく・オリーブオイル・ベーコンでつくったベースを舞茸、パスタ麺の順に吸わせ、合わせる。パスタは明確に構造化された料理だと思う。オリーブオイルとパスタ麺の多孔性がその構造を担保している(このパスタにおいては舞茸の多孔性も重要である)。
今日はこれから、仕事で東京から京都に戻ってきている友人と、学生時代に驚くほど通ったお店で会うことになっている。僕は今年度も変わらず京都にいて、彼は東京に行って4年目になった。そのあいだに、お互いにおいていろんなことが少しずつ変わっていったように思う。彼は例のごとく会食が長引いているようで、いったい何時に会うことになるのかわからない(別の友人によると、会食は「のびるもの」らしい)。
先にお店に行って、ひとりで過ごしていても良いのだけど、今日は彼から連絡がくるまで、自分を過ぎ去ろうとしている水流を感じ、書きとどめておこうと思う(ここではさしあたり、この感覚を採用することとする)。当然のことのように、大切なことは何ひとつ書けないように思うのだけど(一時的意志により不可能でありながら、ひょっとすると永久に不可能なのかもしれない)、それでも、書かれ得なかったことたちのためにその周縁を書く、ということがあるのだと思う。そうでなかったら、あんまりじゃないだろうか…。
さて、今年度も寡作にならないように、たくさん書きたいし(ここに書くテキストは論考を増やしたい)、たくさん描きたいし、たくさん撮りたい(たくさん印刷したい)。そしてたくさんのものごとをつくりたい。はて、いったいぜんたい、どうなるんだろう。
東京へ──豊橋・由比・茅ケ崎・東京
3月の終盤、とあるアートプロジェクトにお誘いをいただいて宮城県を訪れる機会があった。直前まで、集合の前日に飛行機に乗って、仙台まで飛んでしまおうと考えたのだけど、今年度は春休みと呼べるような時間もなかったように思うし、都合よく集合の数日前から予定が空いたので、青春18切符を使ってひとまず東京へ、途中下車を楽しみながら向かうことにした。ここにはその断片的なスケッチを書き残しておこうと思う。
夕方ごろ、由比駅で降りてみることにした。国道1号線と東名高速道路、そしてJR東海道本線が駿河湾に近づくところ。
ここで降りてみたらきっと良いのだろうと、この場所を通るたびに思っていたのだけど、実際に降りたことはなかった。というよりは、降りられたことがなかった。それでも、その日は降りることができた。それはとっても素敵なことだった。とっても。
小さな駅の北側に出て、先の3本の長い線を潜り抜けるようにして由比港へと歩いた。
港はとうぜん、すでにその日の活動を終えていた。そこから駿河湾沿いに架けられた東名高速道路を見る。ガードレールによって背の高いトラックの存在だけが感じ取られる。その先には、──僕はそう感じたのだけど──とてもおだやかな空が広がってた。それらは防波堤に囲まれ、動きの少ない水辺の様子(ある種の内海)と重なり合って、妙に単純化された風景をつくり出していた。
そこで過ごしていると、その単純化された風景の持つ雰囲気のようなものが自分の心に映し出されていくのがわかる。そうやってお互いが響き合っていく。単純化された風景は、特定の心情としか響き合うことができない。あるいは、特定の心情をわれわれの心の中に映し出そうと試みる。われわれは、それを受け入れることによって、その風景とアチューンメントすることができる。響き合うことができる。
ここには、雑然とした風景と対するのとは異なる種類のアチューンメントが存在している。由比の単純化された風景。
その日は結局、もう少しだけ電車に乗って、茅ケ崎駅の近くに泊まることにした。
宿に数日分の荷物を詰め込んだpatagoniaのバックパックを置いたころにはもう、ずいぶんと遅い時間になっていた。そのまま眠ってしまいたいような気もしたけれど、外で夜ごはんを食べようと思って、宿の近所にある中華料理屋に入った。
なんとも運が良いことに──もちろん外から吟味して選んだお店ではあったが──そこはとても素敵なお店で、おいしい中華料理を食べることができた。それはとっても嬉しいことだった。
他にも4,5組のお客さんがいたのだけど、そのみんなが「おいしかったよ」といってお店を後にしていた。確かにそう言いたくなるのもわかるような場所だった。そういう場所が、この世界には一定数存在する。さて、自分はどうしたのだっただろうか。よく覚えていない。
翌日はとても気持ちがいい天気だった。春らしい暖かさで、澄み切った青空が広がっていた。それで、茅ケ崎駅北口から南下し、住宅街を通り抜けて(この住宅街が不思議と魅力的だったことをよく思い出す)、茅ケ崎海岸へと向かった。
平日の午前中だったこともあってか、海岸には人もまばらでとても過ごしやすかった。
ひとしきり歩いたあと、仰向けになって砂浜に寝転んでしまうと、ほどよい日差しを全身で受け止めることに専念できて、それはもう背中から砂浜に根っこが生えてしまいそうなくらい心地良い時間だった。それで、じっさい、ここ場所に背中から根っこが生えてしまったらどういった問題があるのかについてひとしきり考えていた。それは例えば、雨のこと(仰向けなので特に)や冬の寒さのこと(数日前まで寒かったので)、そして砂浜から十分な栄養価が摂れるかどうかについて(人は土の栄養分だけで生きられるのだろうか。そもそもその頃にも人なのだろうか)。あるいは、根っこにいたずらをされてすぐに息絶えてしまうのではないかということについて(意のままにならない他性は、人にとってだけ意味を持つものではない)。
しかし、ほんとうにじっさいのことには、その日中に東京にたどり着いて、1件だけ用事を済ませないといけなかったし、明日の朝には石巻に行かなければならなかった。そういうわけでなんとか立ち上がって、もうひとしきり、自立二足歩行で海岸を楽しんだ後、湘南新宿ラインに乗って東京へと向うことにした。
東京。用事を済ませて、神田川から墨田川へと、とにかく歩く。また少しずつ、歩調を合わせていく。
そのままいつのまにか銀座にたどり着いて、お腹が空いていることに気が付く。
人混みの中で少しずつ歩調が乱れていく(ここでもまた、われわれはあまりにも孔だらけである)。
メキシコ料理が食べたいと思って、赤坂見附の地下にあるメキシコ料理屋に行く(美味しいメキシコ料理屋は地下にあることが多いと思う。極個人的見解)。
そこには、案外日本語より英語が得意なのです、といった具合の穏やかな店員さんがいて、年長者を祝う会を開いているらしい10人ぐらいの外国人グループがいた。そのグループは奇妙に思えるほど、お互いにお互いを気遣っているように思えたし、その中には車掌のような格好をした男性もいた(とても印象的な風貌)。
店内には窓が見当たらず、派手な色遣いの内装と、壁にかけられた植物の油絵がうっすらと目に入ってくる。入り続けている。
なんだか妙な雰囲気がこもったような場所で、その雰囲気はどこにも出て行きそうにないし、こちらもどこにも出て行けそうにもなかった。だんだんと、ぼんやりしてくる。ゆったりと座ることができるソファに、より深く沈みこんでいく。だんだんと、心地良い重さが生まれてくる。いったい、いつまでここにとどまっていることになるのだろう。そんな夢の中のような場所。
宮城へ──石巻・陸前高田・丸森
東京までの小旅行のあとは、先のアートプロジェクトに参加するため宮城県に向かった。東日本大震災と令和元年台風、その両被災地で活動を続けるアーティストとともに、石巻・陸前高田・丸森の3か所を訪れた。ここでの経験については、とある媒体に書かせていただく予定なので、ここにはひとまず写真を残しておこうと思う。
宮城での滞在の中でひとつ、とっても印象的だったこと。
初日の夜、石巻のとある場所でライブが企画されていた。ゲストは七尾旅人さんと友部正人さん。どちらも素晴らしい時間をもたらしてくれたのだけど、特に七尾さんによる Tracy Chapman 『Fast car』の日本語カバーが印象的で、とっても感動的だった(彼は「日本語化に成功した」と言っていたが、まさにその通りだった)。
残念ながら日本語化された音源が見つからないので、代わりにといってはおかしな話なのだけど、 Tracy Chapman 本人による『Fast car』を聞いている。もちろん、こちらも素晴らしい。しかしいつかもう一度、七尾さんによる日本語化された『ファスト・カー』が聞きたい。
われわれとその世界の孔についてのメモ書き(2022)
2022年3月13日、東鞍馬口通りを東向きに、白川通りに向かって歩いていた。
自宅で預かっていたとある写真家の作品を、とあるギャラリーで展示した後に、とある書店で展示することになっていて、今日はそのギャラリーと書店間での搬出入を手伝う日であった(僕が乗っているトヨタのウィッシュはそこそこ大きな荷物を積み込むことができるので、こういうときにも大活躍してくれる。あるいは、そのために僕が搬出入を手伝うことになる)。
それで、そのギャラリーは東鞍馬口通り付近にあるのだけど、搬出の予定時間よりも早くに着いたので、その近辺をあてもなく歩こうとしていた。
それで明確な目的もなく、ただ東鞍馬口通りを白川通りに向かって歩いていた。そして引き続き何も目的を持たないままにあるT字路に差し掛かったとき、その南側から原付に乗った男が飛び出してきて、僕に近づくなり「1000円くれませんか」と声をかけてきた。 5万円の入った財布を落として、原付のガソリンも切れかけているらしい(何かのランプを見せられたのだけど、それが何を示しているのか、よくわからなかった)。
とっさに、本当なのかと疑う。ただ、いったい何が本当なのかを疑っていたのか思い出せない。「僕ですか、僕も学生で困ってるんです」(学生でもお金に困っていない人はいくらでもいる)、「渡すんですか、貸すんじゃなくて」(問うべきことはそこではないことに、いち早く気付かなければならなかった)などと言ったあと、二つ折りの財布から千円札を1枚取り出して渡した。
お金を渡したことで、なにかお礼のようなことを言われた。僕はとにかく早くその場から立ち去りたかった。「せめてお名前だけでも」と言われ、名前を伝える。今すぐに立ち去りたかったが、そうしないわけにはいかなかった。そのあと彼は自分の名前を伝え、「またどこかで会ったら」と言って、やってきた通り、T字路を南に戻っていった(彼は修学院だか宝ヶ池だかに住んでいて、家に帰りたいと言っていた)。ヤマモトツヨシ、僕は彼の顔をまったくもって思い出せない。
そう、彼に声をかけられたときにはもう、今日この日までの戸惑いが決定されていた。
われわれの身体はあまりにも孔だらけである。ゆえに有無を言わせぬ他者の侵入を許してしまう。耳に穿たれた孔は、自分という存在の奥底の方にまで通じていて、他者の声が自分をその内部からじわじわと蝕むことを許してしまう。世界にはどうしようもない他性が存在し、それはあらゆる種類の孔を介してわれわれの内部に入り込み、ときにわれわれそのものを徹底的に変えてしまう。
この世界の孔だらけなあり方を、つまりは多孔性を意識的に問題化しなければならない。そうでなければ、われわれに残されるのは、世界に対して閉じた自己完結性を構築しようとすることになりかねない。しかしながら、そうやって閉じようとしてもなお、どうしようもない他性はやってくる。そのときにわれわれはまた、あまりにも無防備になってしまう。
そして、この多孔性を問題化することは、耳に穿たれた孔が保たれる世界を生きようとすることである。それも素晴らしいあり方で。それは例えば、愛する人に愛の言葉を囁き、そして囁かれる世界を保つこと。その言葉を自分という存在の奥底の方にまで響き渡らせて生きようとすること。その明快な幸せと喜びにおいて、他なるものと共に生きようとすること。