釜山より──溝/gapを歩く

歩くことは、もうずっと大切なことだ。特にこの数年はそのことに意識的になっていて、去年からときどき書いている(金沢にて)。その頃から考えていたこと、歩くことをとおして身の回りのものと調子を合わせていくこと──アチューメントしていくこと──とはつまり、身の回りのまだわからない何かのこと、そのわからなさの溝/gapを想像し、それを感じ続けることでもあるのだと思う。ただ、その溝/gapを埋めようとすることが大切であるとは限らないとも感じる。溝を埋めることに勤しむよりも、溝があってもなお共にあるという緩やかさの方が大切だと思うから。歩き続けること、あるいは想像し続けることによって。

パク・ソルメという作家が『未来散歩練習』という素晴らしい本を書いていて、2023年に日本語に翻訳された。この小説らしきテキストには、韓国の釜山や光州、あるいは日本のいくつかの都市がその舞台として登場する。なかでも、釜山の「旧アメリカ文化院」(もともとは東洋拓殖株式会社の社屋として建築され、現在は釜山近現代歴史館 別館となっている)と「釜山アメリカ文化院放火事件」が物語の中心にある。これは実在する建物と、そこで実際に起こった事件である。2024年の夏、この素晴らしい本からとても大きな影響を受けた。そのことは別の機会にじっくり書くこととして、本文の中からとりわけ印象的な部分と、訳者である斎藤真理子による推薦文の一部を引用させていただく。

チェ・ミンファンの言うように気候が変化し、動物たちが消え、地球の終わりが近づくとき、私はその窓の向こうのことを思い出し、私の欲しかった未来がもう戻ってこない美しい過去に思えるのだろうが、そのときは辛いだろうか、後悔するだろうか、または……でもそれは同時に、切実に蘇らせたい、作り出したい未来でもあった。過去の人たちが持ってこようとして努力した未来はまだ未来と感じられるし、私が思い描く未来も、未来にはまた、蘇らせたい未来となるのだろう。来てほしい未来を思い描き、手を触れるためには、どんな時間を反復するべきなのか。私はまずそれをどこかに書きとめておこうと思った。
— パク・ソルメ『未来散歩練習』白水社,2023年,斎藤真理子訳,pp.14-5
現在と未来について考える人たち 来るべきものについて絶えず考え、現在にあってそれを飽きずに探し求める人々は、すでに未来を生きていると思った。絶えず時間を注視し、来るべきものに没頭し、人々の顔から何かを読み取ろうとする人々は、来るべきと信じるそのことを、練習を通してもう生きているのだと。ある時間たちは近づき、混じり合い、膨張してそこにあり、未来とは必ずしも次に起きることではないですし、過去とは必ずしも過ぎ去った時間ではないんです。
— パク・ソルメ『未来散歩練習』白水社,2023年,斎藤真理子訳,p.82
現在とは、単純な「今」ではなく、過去と未来の間で誰かが粘り強く続けている「練習」の時間なのかもしれない。パク・ソルメの想像力がそれを可視化する。この作家は、断言せず、逡巡し、言葉を選びながら、事実と現実と真実のあいだを慎重に行き来する。この三つの「実」のどれもこぼさずに過去から未来へ運ぶことはとても難しい。だが、パク・ソルメはそれを勇敢に、そして何気なくやりとげる。散歩するために出てきたような身軽な様子で。
— パク・ソルメ『未来散歩練習』白水社,2023年,斎藤真理子訳,p.218(斎藤真理子の推薦文より)

以前から、船で釜山に行きたいと考えていた。下関から夜行船に乗って釜山に行くことを想像する。大きな船に乗って日本という島の外に出ることは、とても魅力的な経験に思えた。そしてそれが実際のこととなるようにイメージして、いくつか具体的な行動をする。旅程を調整し、見知らぬ街についての事前情報を少しだけ取り入れ、船酔いについて対策を考える(ありがたいことに杞憂に終わった)。果たして、それは現実になる。

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朝になって船室で目覚めると、船はすでに釜山の港に停泊しているようだった。甲板に出ると、港の向こう側には馴染みのない佇まいの都市が広がっている。山肌をトレースするように細々と建て続けていたものの、ついにどうにもならなくなった、という具合に山よりも山らしい高層ビル群が建てられていた。

下船して、港から釜山駅へとつながるペデストリアンデッキを歩いていると、さまざまなものが目に入ってくる。2030年万博の誘致広告(開催地はリヤドに決まっている)、それに合わせるように開発される予定であった巨大な埋立地(開発は継続するようだった)、山を隠す壁のような駅前の高層ビル、高層ビル、高層ビル、大規模な道路工事。含みなく、ただ目に入ってきた事実を書きあらわしたい。

1950年代、朝鮮戦争時の疎開による急激な人口増加を経験したのちに、現在は急激な人口減少期にある釜山。この巨大な試みたちに、どれほどの素晴らしい、「来たるべき」未来が含まれているのか。なぜこれは実行されなければならないのか。もちろん僕にはそれはわからないのだけど、これを実行しようとしている人々だって、実のところはわかってないんじゃないかと想像する。そうだとすれば、いったい何がこれを推し進めようとしているのか。旅の始まりから息が詰まるようで、少し辟易しながら、隠されつつある山に建つホテルへと歩いていく。

ホテルに荷物を預けてから斜面を下り、海沿いの市場を散見する。海産物、野菜、飲食店、偽物らしきブランド品、可愛らしい照明器具、調理器具。そうして色んなものを見ているとお腹が空いてきて、街角でキンパを買って食べた。これがとっても美味しかった。

それでいつの間にか近くまで来ていることがわかって、「釜山近現代歴史館 別館」へと向かった。「釜山近現代歴史館 別館」の建物は1929年に東洋拓殖株式会社の釜山支店として建築されたものである。解放後は米軍の宿舎として利用されたのちに、アメリカ文化院に利用されていたのだが、1999年になって韓国へと返還されたらしい。そして何度かの改修を経て、2023年からは図書館を中心とした文化複合施設となっている。

パク・ソルメの『未来散歩練習』に導かれながら見知らぬ場所を歩きはじめる。こういうことはとっても楽しい。それに、旅先でホテル以外に落ち着いて作業ができる場所を見つけておくのはとても大切なことだと思う。

歴史館で少しゆっくりとしたあとは旧百済病院を訪れた。この場所は1922年に釜山初の近代総合病院として開院し、1932年の廃院後は中華料理店、日本軍将校の宿舎、釜山治安司令部などとして利用されたらしく、現在はカフェや書店、ギャラリーなどの複合施設となっている。1階のカフェはとても人気なようで、この日も多くの人で賑わっていた。せっかくなので、われわれもそのカフェでコーヒーを飲みながら少し休むことにした。どうやら韓国ではアメリカーノが主流らしくて、街角のコーヒー・ショップではたいてい安くて大容量である(このあとの散歩では、その大部分でアメリカーノを片手にしていた。薄味だから歩きながら飲むのにぴったりだった)。

建物を一通り見て回った後、入り口付近に少しだけ建物の過去に関する展示がなされていることに気が付いた。100年を超えて、その姿を変えながら釜山の近現代と共にあり続けてきた建築。その時間の中に、いったいどのようなことがあったのだろうか。なぜこの建物は残ったのだろうか。そしてこれからも残り続けるのだろうか。残ってさえいればいいんだろうか。
同時に、今に残らなかった建物のことを想像する。建物はなぜ、時に捨てられたり壊されたりするのだろうか。もっともらしい理由はそれなりに思いつくのだけど、決定的に重要なことが見落とされているような気がしてならない。

これらのことは、いつの間にか会期が近づいている展覧会のようなもの(京都のとあるビルの100周年に関連するもの)に関わることでありながら、今取り組んでいるいくつかの住宅のプロジェクトに関わることでもあって、なんだかこの半年ぐらいはずっとこういうことばかり──時間のことばかり──考えているなあと思う。

夕方になって少し涼しくなったころ、釜山の中心部である南浦洞から大きな橋を渡って影島へと歩いていった。とある雑誌で見つけた海沿いの書店に行きたいと思った。今日はもう十分すぎるほど歩いていたのだけど、まだ歩きたいと思っていた。朝に比べると空はずいぶんとすっきりした様子になっていて、歩きたいという気持ちはそういうことにも後押しされていた。

しかし、いくつかの坂を超えて1時間ほど歩いてたどり着いたその書店は、少し前に閉店したようだった。とても残念だったのだけど、そこに行きたいという気持ちに導かれてずいぶんと長く歩いて来られたことは満足な出来事だった。それで少しだけ夕日を眺めてから南浦洞の方へと戻った。

そうしているとすっかりお腹が空いた。それで『未来散歩練習』にも出てくる「石器時代」まで歩いて、五香醤肉と焼き餃子を食べながらビールを飲んだ。焼き餃子は僕には揚げているように思えたのだけど、やはり焼き餃子らしい。たしかに、そういうこともあるだろう。ここでは揚げは焼きに包摂されるのかもしれないし、揚げなんてないのかもしれない。もしかしたら、揚げこそが本質的には焼きかもしれない(それっていったいどういうことだろう)。

さて、「石器時代」はずいぶんと繁盛しているお店で、店先で少しだけ席が空くのを待ったのだけど、そのときからお店の若い男性がずいぶんと良くしてくれた。彼はかなり大柄で、優しい目をしていた。言葉が通じないときにこそ、自分が見知らぬ相手のどこを注視しているのかに自覚的になる。それはそうと、とっても美味しい料理にすっかり満足して、その日はもう少しだけ歩いた。

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翌朝、ホテルから坂道を下って釜山近現代歴史館の付近を歩く。同じ場所を繰り返し歩くことは旅先で大切にしていることだ。小さなルーティンをつくる。明確な理由はないのだけど、そうした方がいいということは経験的にわかっている。

この日は釜山ビエンナーレの会場となっている釜山現代美術館に行った。去年からお世話になっているアーティストが参加していることもあって、釜山ビエンナーレを見に行くことは旅の具体的な目的の1つだった。ビエンナーレのテーマは<Seeing in the Dark>であった。釜山行きに際してさまざまに情報をくださった先生によると、このテーマはフレッド・モーテン(Fred Moten)の思想に影響を受けているらしい。さて、ビエンナーレにはいくつかの印象的な展示があったのだけど、Hong Jin-hwon による映像と写真の展示が特に興味深かった。

美術館でゆっくりと過ごして、それからはヘロヘロになりながら街中に戻ってロッテリアでハンバーガーを食べた。夜になって釜山の中心部で一番大きいらしい本屋に行くが、探していた本は見つからず、仕方がないので帰国してからAmazonで買おうかと考え始める。

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翌朝も同じように、ホテルから少しだけ違う道順で坂道を下って釜山近現代歴史館のあたりに行く。この日はそこでしばらく作業をするつもりだったのだけど休館日だった。仕方がないので近くのスターバックスに入った。とても寒かった。

お昼ご飯にデジクッパを食べてから、南浦洞にある釜山デパートに行った。地下は食堂街、1階と2階がテナントスペースになっていて、3階以上は事務所や住居となっているらしい。建物の中に入ってみると、なんだか人けがない。それで少し様子をうかがいながら1階を歩き回って、それから2階に上がる。両階ともに、細い廊下の両脇に、効率的に工芸品や骨董品、あるいは高麗人参を売るテナントなどが配置されている。そしてその空間性とは裏腹に、テナントが欠けているところも見受けられる。

そうして歩いていると、2階の階段室の脇にとても魅力的な焼き物が並べられていることに気が付いた。手に取って見てみたいと思って、お店の人を探したけれど、この場には居ないようだった。それでどうしようかと考えていると、隣のお店のおばさんが「壁に書かれた番号に電話しなさい」と身振り手振りで伝えてくれた。伝えられたとおりにすると、日本語を話す男性が電話に出た。彼はお店の店主らしく、電話であれこれとやり取りしているうちに、15分ほどで釜山デパートに行くことができるから待っていてほしいということになった。

その時間通りにやってきた彼は70歳前後の韓国人だった。さっきは日本の番号からの着信だったため、日本語で話し始めてくれたらしい。それで、われわれが興味を持った焼き物のことをあれこれ教えてくれた。そして小さめの赤い壺を買うことにした。彼はどうもおしゃべりが好きなようで、近くの地下街にある彼の別のお店に連れて行ってくれて、そこでお茶をたててくれた。日本で働いていた経験も長いらしく(彼は流暢な日本語をとてもゆっくりと話した)、当時のことをさまざまに話してくれた。そうしてひとしきり話をしてから釜山デパートに戻って赤い壺を受け取った。彼は釜山デパートのことを案内してくれながら、何度も「ここはもう死んだから」と言っていた。ゆっくりとした丁寧な口調から繰り返される「もう死んだから」という言葉は、正負の感情から離れた聞き馴染みのない雰囲気を持っていて、とても印象的なものだった。

そのあとは大きな道路を挟んで向かいに建つロッテデパートに行き、そこが提供する無料のコインロッカーに荷物を預けた。釜山デパートの効率的で機械的な空間性とは異なって、ロッテデパートは巨大な曲線の吹抜け沿いに大きな通路が確保されていて、吹抜けでは噴水ショーが行われている。ずいぶんと享楽的な空間だと思った。建てられた時代や資金力が違うのだからと言われれば、両者の違いにも一定の納得感があるのだけど、建築することへの決定的な感覚の違いが存在していることもまた大切な事実なのだと思う。くどいようだけども、これはどちらが良いとか悪いとかそういう話をしたいのではなくて、ただそこに決定的な溝/gapがあるのだという話である。

その日はそれから西へ西へ、釜山有数の観光名所である甘川文化村の近くにある碑石文化村へと歩いていった。道中はとにかく急な坂道を登っていった。途中のヘアピンカーブごとに、その縁に年配の方々の集まりが開かれている。彼らはこっちを見て物珍しそうにしていた。それで少しだけ笑顔を送る。こちらは怪しいものではないつもりです、といった具合に。そうすると少しだけ笑みを返してくれた。
1時間ほど歩いてかなり高いところまできたなというところで碑石文化村にたどり着いた。ここは朝鮮戦争時、疎開による急激な人口増加のため居住地を確保できない状況のなかで、日本人の共同墓地の上に建てられた集落である。現在はその歴史を示す文化村として観光資源化されているとともに、引き続きそこに住まう人たちがいる。

墓石を建材として利用するなどの切実な建築行為とは裏腹に、この場所でも建築は少しずつ放擲されつつある。建築当時の想いと現在の状況があまりにも合致しない。ここにもまた溝/gapがある。ふと歩いてきた道──かつて誰かが戦火を免れて歩いてきた道──を振り返る。果てしなく続くような人工物の海の中で、ずっと向こうのほうにまで高層マンション群が連なっている。それらは一定の地面を確保したのちには容易に巨大な内部空間をつくりあげているようだった。その容易さと、この碑石文化村の困難さのあいだにもまた大きな溝がある。各時代の技術力の違いだということもあるのだけれど、それだけでは解釈しきれない何かがある。

釜山という場所ひとつをとっても、都市の部分同士があまりにも嚙み合わない関係にある。われわれはそのような溝/gapの中を生きている。ふと、5月に開いた研究会で富樫遼太さんがおっしゃっていた「不整合」という言葉を思い出す。

そして、碑石文化村から少しだけ先のことを想像してみる。あの高層マンション群はそのいつか、いったいどうなってしまうのだろうか。切実につくられた建築たちも、あらゆる理由において捨てられていく。それらをつくった、あるいはこれからもつくろうとしている人間たちの、いったい誰がそのことから目を背けずに考え、想像し、来るべきときのために「練習」をしているのだろうか。
たとえば、高層マンションはその数本のエレベーターによって、この斜面地の建築が経験しているような地理的困難をほんとうに乗り越えられるのだろうか。そういった考えはどうにも脆いものだと感じる。そして、そのエレベーターをつくる技術、あるいはそれがつくられることを認めることは、かつて切実な想いでつくられたこの碑石文化村が放擲されることと無関係ではないはずだった。さて、われわれはいったいどこに向かっているのだろうか…。

釜山に降り立ったときから抱いていたぼんやりとした違和感が、碑石文化村を歩くことで少しずつ具体的な考えになり始めていた。

夜になってサムギョプサルを食べにいく。さっきまで碑石文化村から見ていたひときわ目立つ高層マンションの麓を歩いて過ぎていく。下調べしておいてくれたお店のサムギョプサルはとても美味しくって、お店を営むおばさんたちはとても優しく接してくれた。それですっかり心地の良い気持ちになって、また坂道を登って帰る。

ホテルの部屋で今日手に入れた壺を眺めていると、この日のさまざまな感覚がそこに紐づけられることに気が付く。この壺はそんなことを想像したことがあったのだろうか。でもそういったことによって、この壺はわれわれにとってより大切な、入替不可能な存在になっていく。

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今日も坂道を下って釜山近現代歴史館のあたりへと歩いていった。何も期待せずに繰り返し繰り返し同じところを歩いて、そうしていると意識の外側から、思いもよらない何かが得られるかもしれないと想像する。そして今日は歴史館の中でゆっくりと過ごした。2階の小綺麗な作業スペースが妙に印象的なものに思えた。

そのあとは昼ご飯に美味しい石焼ビビンバを食べて、まだ見ていなかった釜山ビエンナーレの展示会場を見て回った。それから少し親しみが生まれた釜山デパートの地下にある食堂街にも行ってみた。お昼時を過ぎたころでお客さんはほとんどいなかった。普段からいるのかもわからない。でも、きっとそれなりにお客さんがいるんだろうというような大量の食器を黙々と洗っているおばちゃんたちがいた。
昨日のおじさんはしきりに釜山デパートのことを「もう死んだから」と言っていたけれど、建物や場所が死ぬというのはどういうことなんだろうか。あるいは、それらが生きているというのはどういうことなんだろうか。ともかく、死んでいるから悪いとか生きているから良いとか、そういう基準で物事を見て、何かを考えたいわけではない。

夕方になって、日本に帰る船に乗り込む前にロッテデパートで夕食とお土産を買った。ロッテデパートは生きているという部類に入ると思うのだけれど(釜山デパートと比べると尚更そういう表現にならざるを得ない)、ときどき息が詰まるような場所だった。日本でもこの種の感覚になることは多い。過剰で落ち着きのない、動きすぎている場所が多い。とはいえ、とうぜんなのだけど、ノスタルジーを求めたり、都市性を忌避したりしているのではない。ただその場所が、歩き続けていても疲れるばかりでどうも調子が合っていかないというだけのことである。

ロッテデパートからはタクシーに乗って港へ向かった。出国の手続きもあっという間に済んで船に乗り込む。行きは日本船だったけど、帰りは韓国船に乗ることになった。韓国船のホールは華やかで豪勢なつくりがとっても魅力的だった。でも船酔いすると良くないと思って船室でのんびりと過ごすことにした。

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