021425 自宅にて

こういう時間を過ごすのは随分と久しぶりだなと思う。それがどういう時間なのか、自分もよくわかっていない気がするのだけど、たとえばパソコンの前で着地点のわからない文章を書いている時間でもある。大切な時間なのだけど、息継ぎみたいなものだからいつもやってくるわけではない。小刻みにやってくることもあれば、なかなかやってこないこともある。でも、それがやってきたときには面倒がらずに向き合って考えたほうがいい。それができないと、回さない方がいい歯車を回し続けてしまうかもしれないから。

あと、できれば何かが終わる前にそれがやってきてほしい。何かが終わる前にたくさんのことを反省し始めたほうがいいだろうから。


最近、博士課程に入学するための試験を受けて、無事に合格した。その合否発表の日はある場所の工事初日で、それはそれはとっても大切な日だった(試験のことは二の次だった)。

工事に向けてできる限り多くの想定をして、そのおかげでとても不安になっていたのだけど、実際に建物にさわり始めるとそれらが杞憂に終わりそうな気がした。それで少しだけほっとした気持ちで初日の作業を終えた。
その夕方、お世話になっている工務店の方にインパクト・ドライバーを買ってもらった。makitaの18V、最新モデルのインパクト・ドライバー。ずっと古い12Vのインパクト・ドライバーを使っていたから、それを見かねて買ってくれたのかもしれない。他にもいろいろと工具を買ってもらって、なんだかその昔のクリスマスに野球グローブを買ってもらった日みたいだった(確かにそういう日があった気がする)。

博士課程入学試験の合格と杞憂とインパクト・ドライバー、とっても嬉しい組み合わせだった。

試験に際して読み返した修士論文には、場所に長い時間をかけて関わり続けることと空間の非暴力的な緩やかさの関係が書かれていた。長い時間をかけて場所に関わり続けることの中で、ある存在はその自己を遷移させながら、場所に異なる空間を複層していく。その複層化された空間同士の非一貫性、その多孔性に他者が存在可能な緩やかさが生まれるのだということらしい。無意志、例えば壊れていることに起点を持つこと、意思、すなわち設計をすること、そうして建築に合わせながら建築に合わせてもらうこと。

そうした緩やかさと併せて、ずっと穏やかさのイメージがある(もしかすると静謐さの方がいいかもしれない)。自分の心までそれに染まってしまうような空と水面の響き合い、震災跡地の単純化された風景、自宅の天窓からの光景。

修士論文を書いた後、自分の中ではある種対称的な関係にあるこの2つが同時に存在することをぼんやりとイメージしていて、最近やっとそれを空間にできそうな予感がしている。3月はしばらく南欧で過ごすことになっているから、その間にこれについて少し長い文章を書いてみたい。それでその後、自宅で試してみようと思ってなんだかわくわくし始めている。もちろん、そのときには買ってもらったインパクト・ドライバーも使って。

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宇多田ヒカル - 光