051724 @自宅

前から企画していた研究会の前夜、急にその気になって、ずっと前から段ボールに詰め込んだままにしていたものを部屋中に散らかしてみる。


4年前に書いていたノート、函館での行動履歴・スケッチ・テキスト・暮らしていた家の実測図面。ただ、記録するためのものたち。
気になって、その家の現在を調べてみる。外から見る分には、さほど変わっていなさそうだったのだけど、建物の中は新しいものによってすっかりと変わっていた。木目調のフローリング、5人は座れそうな大きなソファ、4人掛けのダイニングテーブル、妙に鮮やかになった黄緑のキッチン、エアコン。たしかに、あの頃よりもよっぽど快適に暮らせそうだった。もちろん、変わらないものもあった。座卓、灯油ストーブ、冷蔵庫、炊飯器、あるいは、大抵のもの。

ウェブページの説明書きを見ていると、この家はいつのまにか「古民家」ということになっていた。ページ内の中国語が妙にチラつく。あれから4年経って古民家になったのか、あるいは以前からそうだったのか。まあ、どっちでもいい。そういうことによってあの建物が残り続けるのであれば、なんだっていい。素晴らしく編集しよう。

12,3年前に買ったいくつかのCD。Green Day, My Chemical Romance, Something Corporate…。残念ながら、今は家にCDを再生する環境がないので、いくつかYoutubeで聞いてみる。少しだけ、激しいなと感じた。同時に、今でも当時のことが蘇ってくる感じがあった。手触りのある記憶が、メロディの中にもある。あるいは、それらが確かに自分の中にとどまっていて、一時的に輪郭を持ちはじめる。もちろん、足りないところがたくさんあるように思う。孔だらけの輪郭。

過ぎ去ったこと、過去のこと。遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。物理的、あるいは精神的な距離においても通ずる一般論。しかし、一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。村上春樹を読み始めたのもこの頃だったように思う。

そういえば、当時使っていたコンポやウォークマンはどこかにあるんだろうか…。どうして知らないんだろうか。

そういえば、『Whatsername』の最後のバースで、Billieがほとんど泣きじゃくっているライブ映像を見たことがあった。ずいぶんと探したのだけど見つからない(上の映像ではない)。

あらゆるなにかをつくるうえで、あたりまえに、いろんなものに影響を受けてきたし、受け続けている。だけど、その映像はひとつの重要な起点だったのかもしれないと、今になって思う。
私的なものごとのずっと奥底の方に、ほんの少しだけ他者にも共感可能な何かがある。それを見つけるために、徹底的に内省的であろうとすること。ここ数年の、ティモシー・モートンや篠原雅武への関心に通ずるもの。研究会での重要な気付き。アクチュアルで感覚的な個人的体験。


そうやって、筋道を立てて過去と現在を編集する。昔、原美術館で見た Lee Kit の展覧会を思い出す。

人生を編集しよう。編集された人生を自分に信じ込ませるんだ。もっと細部まで編集しよう。人生は素晴らしい。」


そして四国の東端、町の中で不自然に大きくて壁のようなあのマンションに戻ってくる。その高層階、東向きの6畳の和室。紀伊水道を行き交うフェリーを眺めていた。ここではないどこか遠くの事ばかりを考えていた。物理的にも、精神的にも。

いつか液状化と津波で沈んでしまうかもしれない町。埋立地の海浜公園。遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。

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051424 @Cafe Collection