福岡より
福岡へ──のぞみ1号 博多行
新しい仕事のために、福岡に向かっている。
とある縁から、福岡で設計の仕事をさせていただくことになった。その敷地にはいくつかの候補があって、それを決定するために、そして関係者の方々と顔を合わせるために、福岡に向かった。
朝の7時半、京都の自宅を出て、バスで京都駅に向かう。この時間帯にバスを使うことはほとんどない(他の時間帯でもめったに使わないが…)。車内はすでに観光客らしき人々でそれなりに混雑していた。
30分ほど経って京都駅に着いたバスの車内には、乗車に関するあれやこれやを理解できなかったと思われるたくさんの外国人観光客と、その対応に辟易として、つい言葉が荒くなる運転手がいる。運転手の彼は、その観光客たちに向かって妙に早口の英語を話しているのだけど、それは苛立ちを込めた日本語のように聞こえる。 "Where did you get on?"
気を持ち直して、中央改札口の近くで切符を買い、博多行きの新幹線に乗り込む。のぞみ1号 博多行。2年前、車で九州を一周したときには滞在しなかった福岡。それはいつか仕事で来るだろうという予想に基づいた判断だったのだけど、あんがい早く現実となった。
そう、普段は遠方にも車で移動することが多い。そのためか、京都から博多までの移動時間が2時間半だということに違和感がある。とても短い。でもこれは仕事だから、急いで移動しなくてはいけない。だから新幹線で行くべきだ、と考える。そういう思考のあり方が自分の中にも存在していることがわかってしまう。
どれだけそうしないようにと思っても、仕事/それ以外という構図が無意識に浮かび上がってくる。そしてときに、仕事であるという意識は人に「何か・誰か」の思考を無自覚に入り込ませてしまう。われわれ──孔だらけの存在──は、それを制御しなければならないはずだった。自身を入替可能な存在へと落ちぶれされる思考が入り込むことを。
少し前に、濱口竜介監督の『悪は存在しない』を見た。とても良い映画だった。悪は実体を持って存在しない。空っぽで孔だらけの存在者たちが、一時的にその悪のウツワとなってしまう。流動的で掴みどころのない悪。
遠く離れた場所で設計するということへの漠然とした怖さがある。それでも、自分が大切に思うことに自覚的になって、できる限りの誠実さで関わることが大切なのだと思う。そうして、具体的なひとつひとつと関係を結んでいく。
そんなところで、抽象的な思考を手放す。
スマートフォンを使って、いつものパスタをつくるうえでの具体的な注意点をメッセージする。こちらはただいま東広島、外には青々とした緑と石州瓦による赤の風景が広がっている。でもぼんやりとしている間に過ぎ去っていった。いや、こっちが過ぎ去っていった。
平尾にて──いくつかの可能性と方向づけとしての選択──
京都へ──のぞみ20号 東京行
翌朝、天神の宿を出て、朝ご飯を探しながら博多駅方面へと歩く。10分ほど歩いたところで素敵な佇まいの喫茶店に出会い、そこで朝カレーとホットコーヒーをいただいた。カレーは深みのある辛口で、コーヒーはそれに見合う濃い味わいだった。とても美味しかった。きっとこれがベストな関係性なのだと、絶対的にわからせてくれる。ちょうどカレーを食べ終わるころにコーヒーを出していただき、そのタイミングも完璧だった。
すばらしくアチューンメントされた全体、それでいて過剰さを伴わない何か、それを感じてとっても良い気分になった。
そこで一息ついてから、博多駅に移動して新幹線に乗り込む。のぞみ20号 東京行。今日のところはできるだけ早く京都に戻りたいと思っていた。
新幹線の座席で、パソコンを開く。福岡で過ごすあいだ、その裏側で──京都で──いろんなことが蠢きはじめていた。メールのプッシュ通知がそれをほのめかしていた。そのほとんどが、とっても前向きなことなのだけど、ほんとうにそこに入り込むためには、たくさんのエネルギーが必要になる。
今大切なことは、ひとまず頭じゃなくて手を動かすこと。とにかく、つくること、書くこと。まずはこの新幹線から再開する。そうして、少しずつ自分自身を別の状態に遷移させていく。