小豆島でのこと
研究室の先輩を訪ねて、彼が暮らす小豆島に行った。
主には彼が携わった小豆島での仕事を見て、自分が考えられることを伝えるために。(あとはもちろん、夏の小豆島でひと休みするために)
その仕事の1つは、もう1年以上前にひと段落していたようなのだけど、なかなか見に行く機会をつくられていなかった。そうこうしているうちに、僕の京都での仕事がひと段落して、先にそっちを見に来てもらうことにもなってしまった。こういうことはお互いさまなのだとよく分かっているつもりだったので、とても心苦しかったのだけど、今回なんとか機会がつくられてよかった。
とはいえ、2日という短い時間で、時には前提から態度が異なるものごとについて話すことは簡単ではなかった。できる限り解像度高く聞きたいし、話したいのだけど、それには時間がかかることもまた事実で。だからこそ、離散的になってでも、話し続けることが大切なのだとあらためて感じた。話をお互いのあいだに吊るしたままにしておかないといけない。それもできれば風通しの良い場所に。
そういう普遍的ともいえる困難があったとはいえ、同世代 (だと僕は思っている) の先輩の実践を、彼の言葉で聞けるのはとても貴重な機会だったし、自分にとってもまだ不安的で中吊りなものごとについて、率直に話せたこともありがたいことだった。
それはそうと、今回の訪問に際して、先輩や彼の周囲の人たちがさまざまに準備してくれたことにはあらためて感謝してます。また、一緒に行ってくれた研究室の皆にも感謝してます。最初は1人で行こうと考えていたのだけど、みんなで行って良かったと思ってます。
あとはその数日間の断片的なスケッチを書いておこうと思う。
坂手港北東の坂道
道から内海の先まで、ジグザグなリズムが連なっている
馬木地区から見える山と建築物
醤油づくりのための菌が町中に黒ずんだ様相を生んでいる
船のこと
明朝に京都を出発して、徳島を掠めるように通り過ぎ、高松港で小豆島行きのフェリーに車ごと乗り込む。 穏やかな内海を片道1時間。近い。この短さでは何かの踏ん切りをつける契機にはならないな、と佐藤泰志の『青函連絡船のこと』を思い出しながら考える。
何より、この船には軽易な喜びや期待が溢れていているようだった。全体的な高揚感。この日の晴れ模様がまた、その雰囲気に拍車をかけていた。ここ数日、奇妙な動きで不安を煽っていた台風6号が、九州の西側を北上しそうだということになり、この日の瀬戸内海の晴れ模様は実際のそれ以上のものに見えていた。
甲板では階段やホース、その格納箱が機能的な鮮やかさを放っている。心地良い暑さにクリアな視界。かつて曇天の津軽海峡の上で感じた内向的な神妙さは、ここには漂うことすらできなさそうにない。滅却されてしまう。
船に乗るときにはいつも、あの津軽海峡を4時間かけてわたる船のことを思い出す。なにも相対化する必要はないのだけど、あの光景が函館での日々とともに、ふっと頭に浮かんでくる。
ただこの日の瀬戸内海は加速的に晴れていて、かつての津軽海峡はいつも曇って見えていた。本当にそれだけのことなのだけど。
海のこと
待ち合わせ場所の坂手港で先輩と合流し、「まめまめびーる」で素敵なお昼ごはんを頂いたあと、海に行った。といっても、海はずっと見えているので、これは海に入れるところに行ったということなのだけど。
砂浜でひと通りアイドリングをしてから海の中に入って、ただ体の力を抜いて浮かぶ。自分の輪郭がやわらかくなっていく感じを思い出す。
体の水分と空気、海水、それらを孔だらけの輪郭がなんとか仕分けている。そこに働く浮力。瀬戸内海の穏やかな波。何かの実験器具にでもなった気分になる。容器としての自分を他性の「海」に浮かべて、いったいどうなってしまうのか試している。不自由な心地よさ。
そのうち、そのイメージは、二足歩行なんて馬鹿らしいじゃないかと思わせてくる。ぷかぷかと浮かんでいるイメージが支配的になる。地面に力強く立つのではなく、他性の海に浮かぶこと。決定的な違いは、他性に対して自覚的であるかどうか。垂直抗力ではなく浮力。
今でもついつい、自分と海との間に美的な距離を設定してしまうのだけど、やはり本当に中に入らなければならないと何度も何度も思い出す。小難しく考えないと、あるいは例のごとくティモシー・モートンの言葉を思い出さないと、ものごととの距離を無くしていけないことに辟易しつつも、ぎりぎりのところでその小難しさに救われているんだなとも思う。夏の晴れた日の小豆島の海。
馬木キャンプのこと
そのあとはドットアーキテクツが設計した「馬木キャンプ」を見に行った。 これが不思議な魅力のある建築で、この日以来、頭に残っている。
色々論点はあるのだけど、さまざまなレベルでの内と外の関係が魅力的だった。建築内の外から始まり、敷地内の外、そして敷地外の外まで、光や風、さまざまな生き物やモノ、あるいは出来事を巻き込みながら、大きな広がりを生んでいる様子がかなり解像度高くイメージできた。
「内ありきの外」ではなく、「外ありきの外、そのさらに一部が内」という関係になっているが大きな要因だと感じる。単なる透明さに留まらない、建築の開かれた在り方を感じられてたことが良かった。
ひとつ残念なことに、2023年夏の時点では、ほとんど使われていないらしい。時節柄の草木が生い茂ったままになっていた。かつてこの場所にいたらしい人や山羊の不在が強調される。人に使われることだけが大切ではないと思うのだけど、この馬木キャンプは使われていてほしいと思わされる建築だった。
ウミネコとモーニング
2日の朝、起きていた数人で宿から車で15分ほどの場所にある喫茶店に行った。 島を半周する国道436号線が南側の海沿いを走るあたり、瀬戸内海に、もう1回り小さな内海ができるところにある喫茶店。そこしかやっていなさそうだった。
この日は朝から雨が降っていた。店に入って、南側の窓際の席に座る。
外に見える砂浜にはウミネコの群れがいた。みんなわかりやすく風上を向くのでなんだか愛らしい。それはそうと、カモメではなく、ウミネコだとわかったことが妙に嬉しかった。函館で暮らしていた頃、毎日のようにウミネコを見ていたから、僕にとっては当然のことなのだけど。
モーニングセットを頂きながら、店主の女性と話す。いつの間にか店内は僕らだけになっていた。
彼女はその南側の窓から見える光景について教えてくれた。あれはカモメではなくウミネコなのだということ、この内海がいかに波の穏やかな場所であるかということ、外に見える船は今回の台風6号に備えて内海に避難してきているのだということ、それでもかつて大きな災害が起こったこと。
彼女は「長く見ていると色んなことがわかってくるんだよ。」と言った。
途中、なぜかゆで卵だけがもう一度、人数分運ばれてきた。僕は計3つ食べた。
あれはカモメではなくウミネコ。僕は3年前に函館で暮らしていた頃に見分けられるようになった。彼女は長い時間をかけてあの窓から見分けられるようになった。
坂手の茶白猫のこと
島の海沿いにはやはり猫がたくさんいた。
夕暮れごろ、坂手港近くで待ち合わせをしていると茶白猫に会った。
のそのそと近寄ってきて、遊んでくれるのかと思ったら、すぐにお尻を向けて離れていった。
みんなでご飯を食べること
宿には設備が整ったキッチンと細長いダイニングテーブルがあった。みんなでご飯を食べられる場所があると、なんだか良い。
自分の家につくる机、予定より大きくしておこうかな。
人間が住んでいない建物のこと、あるいは「」のこと
例に洩れず、小豆島にもいわゆる空き家が多くあるらしい。 具体的な数値はわからないけれど、日本でも有数の数なのだとか。先輩もまた、その広大な問題系に取り組む1人であって、僕の関心と重なるところが多い。何重にも思考のタガを外さなければ、問題の中に取り込まれてしまうところ。
まず、空き家という言葉には必要以上のイデオロギーがまとわりついているから、できればその言葉を使いたくないと思う。 「空いている」あるいは「家」という言葉は強烈で、こちらの思考を停止させてくる。(ちょうどティモシー・モートンが『自然なきエコロジー』で、従来的な自然の概念に基づかずにエコロジーを語るべきだと主張したことに倣いたい)
ひとまずそういう前提に立つとすると、次には空き家という言葉をどこまで解体するべきかという問題になる。 例えば「人間が住んでいない建築」とか。ここでいう住んでいないというのは、過去にはそうであったが、今はそうではないという事実表現であって、不必要なネガティブさを含意させたくはない。(させたくないとか書いている時点でダメですね)
ただもう一歩踏み込んでいかないと、ただの言葉遊びになってしまう。直感的には、ショッキングな言葉使いをした方がいい。残念だけど、今はまだわからない。これから論文を書いたり設計をしたりしている中で、いい言葉が出てくるといいのだけど。
それはそうと、全日本的に人口が減少していくこの時代においてもなお、空き家を再生させるという考えは未だに支配的になり得るのだろうか。多木浩二の『生きられた家』が示すような、人が住むことによって家が修復されるという物語は、もはや通用しないことは明らかなはずのに、まだ多くの自治体はその事実を直視できないのだろうか。あるいは、そう考えることは個々の人間として辛いことなのだろうか。
(移民を受け入れるだとか、世界的な人口爆発の流れの中に日本社会を確かに位置づけるのであれば、そういう未来もあるのかもしれないけれど、それすらせいぜい数世代のその場しのぎに過ぎないだろうに)
とにかく、人が住んでいる即ち善しだというところに思考の土台を設けることをやめて、あるいは近年のマルチスピーシーズの議論を汲み取った上で、いったいどこに向かうことができるのか。ほんと、それでもなお「建築に何が可能か」とか言って書き始めたい気分になる。
いつも通り思考が霧の中に消えていきそうなので、今日はこの辺りにしておこうと思うのだけど、やはり切れ味の良い解決策はないのだろうなと思う。唯一、手掛かりがあるとすれば、ダナ・ハラウェイが Staying with the Trouble で示したように、困難と共にあり続けなければならないということ。
少しずつ実践のときが近づいてきて、答えを逸る気持ちが増してくるのだけど、なんとか抑えて、中吊りのまま耐え忍びたい。