尾道でのこと / From Fake to Confused Real

2023年11月上旬の約1週間、尾道にいた。
そのあいだは論文のことがずっと頭にあって、それに因るロジカルであろうとする思考と、尾道での場当たり的で直感的な思考が複雑に絡まり合っていた。


ある美術家にインタビューをすることが目的の1つだった。
前もって約束することが、この限りにおいては違うような気がして (あるいは本当に必要なら約束せずとも会えるような気がして) 、とりあえず行ってみることにした。この考えは、同様にこの限りにおいてはほとんど正しくて (ただ現実の状況により少しかたちを変えて) 、実を結んだ。


予感によって行動することは、実際にはなかなか難しい。
多くの場合、予感のような不確かさをそのまま行動に結びつけることは妥当ではないように思われる。
そうやって、ついつい確かさに帰着してしまう。そうでない方が物事を良い流れの中に留められる場合でも。



今はやっと、せわしない数日が過ぎ去って、彼女へのインタビューの文字起こしをしながら尾道での日々を振り返っている。ティモシー・モートンが言うように現実は穴だらけで、尾道での出来事がこちら側に浸透してきている。そういった現実の当たり前に自覚的であることだけが、京都での自分にリアリティを持たせてくれる。


生きていることと書いていることが、当たり前に、密接に絡まり合っていく。冷静な思考を片隅に寄せておいて、もっと思考を走らせておきたい。
論文を書くあいだもロジカルさを絶対的な正しさに位置づける必要はない。とにかく、現実と踊らなくてはならない。


ときに、多孔性は連帯する
そうやって、互いを加速させていく
孔だらけの輪郭が、加速するリズムの中でダンスを踊り続けている

音楽が鳴りやまないことを祈っている
あるいは、音楽が聞こえ続けることを

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