尾道でのこと

秋の気配が現れ始めた9月の後半、ちょうど1年ぶりに尾道に行った。 シュシ・スライマンらによる「NEW LANDSKAP」展とそれに関連する一連のプロジェクトを見に行くため。あとは尾道の山手地区の現状にも興味があった。展覧会に即して言うならば、そこは「Abandone(見放されたもの)」の宝庫であった。

プロジェクトを共にする先生から、この展覧会の存在を知らせてもらったとき、直感的に、すぐに行かねばならないと思った。シュシの言葉を借りるなら、これもまた、ペタンダ(petanda,マレー語で前兆や顕現の意)だったのだと思う。
当初は自分たちのプロジェクトの参考にと考えていたのだけど、結果的には、論文やその先にあるものまで、想像以上に大きくて広い影響を受けることになった。

そこにおいて幸運だったのは、シュシ本人や関係者の方々とさまざまに話ができたことだった。特に、シュシの言葉やイメージ、態度から得たものは大きい。

ここで見たものは、正直、直視し難いぐらい強烈なものだったのだけど、これを見ないふりしてしまっては、もはや建築家というものは存在しえないのかもしれないと感じるほどであった。それほど多岐にわたる示唆がそこにはあった。

ここには、その周縁の出来事を中心に書いておこうと思う。 とはいえ、そのどれもが重要なことであるのは間違いない。そう確信している。
そして、尾道という場所に随分と心が惹かれるようになっている。この論文を書いているあいだに必ず再訪したい。

拉麺またたびのこと

鞆の浦まで寄り道をしてから、2号線に戻って西に進む。
尾道水道の気配が近づいてくる。造船業のクレーンが、道路沿いの建物の上に飛び出してくる。1年ぶりの尾道。妙に不穏な心持ちだった。

前回と同じ駐車場に車を止め、宿に荷物を置いてから街に出る。夕暮れ時だった。何かを確認するように、さっと尾道水道を目に入れ、新開と呼ばれるらしいエリアを歩く。去年はタイミングが合わなかったラーメン屋が開いていたので入った。拉麺またたび。

店主は数日前まで韓国に行っていたらしく、そこで習ったというチャプチェをアレンジしたアテを勧めてくれた。そのチャプチェを食べながらハートランドビールを飲んだ。隣に座っていた、半年間アジアを旅しているというフランス人画家と佐賀から来た農家と話す。その奥にはヴィーガンのカップル。

チャプチェだけで、お腹は十分満たされたのだけど、そうした方がいいように感じてラーメンも頼んだ。とても美味しかった。

思い出せば、そこに重要な兆しがあったように思う。固定的なコンテクスチュアリズムとは相異なる多孔性。文化が、それを推し進める。

外に出るとすっかり日が沈んでいた。
夜の尾道は、海と山がその気配を早くに消していた。確かに朝を待つために、宿に戻った。

しみず食堂のこと

朝、まだ人気の少ない商店街を尾道駅の方に向かって歩く。
商店街を抜けた南側、海沿いの緑地の中にプレハブの店舗がちょんっと佇んでいる。しみず食堂は不思議な建ち方の店だった。

この店にまつわる歴史はずいぶん複雑なようだった。店内の壁中に貼られた写真や新聞のスクラップがそれを示していた。戦後のバラック闇市としての始まりと解体、移転、車道中心の駅前開発による移転。その変遷を、事細かに語るつもりはないのだけど、この場所の不思議な建ち現われ方には、それなりの理由らしきものがあるということらしい。

ただ、周りが変わっていく。ここは他性の海に浮かんだ船。

濃い味付けがジュクジュクに染みた、いなり寿司。サラダとアジの刺身も食べた。

海の方から、程よく強い、心地の良い風が吹き抜けていた。
すだれと布、壁のポストイットにテーブルクロス、スイングドアまで、それぞれに違ったリズムで風に揺れていた。

「NEW LANDSKAP」のこと

しみず食堂で朝食を食べたあとは、「NEW LANDSKAP」の展示を見に行った。この時点でかなり喰らっていた。

シュシは協同を強調するが、彼女の存在が、このプロジェクト全体を多孔的で広がりのあるものにしているのだと感じた。時間、空間、文化、あらゆる次元での多孔化が、素晴らしいあり方で行われている。ショックすら受けるぐらいに。

山手地区のこと / シュシ・スライマンに出会う

展覧会の前後、山手地区にあるサテライト会場を巡り歩いた。 1年前に来たときとは目に入ってくるものが違うように感じた。自分の感覚がなんらか変わったのだと自覚する。変わらないのは猫を探す目線だけ。

サテライト会場の1つ、シドラハウスを見学した後、すぐ近くの道でシュシ本人と鉢合わせた。まだこのシドラハウスの有無を言わさぬ良さにショックを受けているところだった。なんと話しかけるべきか、あるいは話しかけないべきかを考える一瞬の間に、シュシは僕が手に持っていた図録を指さしながら話しかけてくれた。そして少し話をして、午後のトークイベントで再開することを約束した。

そこからはずっと気持ちが浮ついていた。何かが、蠢き始めていた。

バラ屋のこと

滞在中は毎日、商店街にあるバラ屋という喫茶店に行った。 そこには柔和という言葉がぴったりに思えるおばさまがいた。

彼女は会計たびに、毎日変わる僕のTシャツについてコメントをくれた。

「今日のこれは、れんこんなの?」
「今日はいもむし?」

どれもが水玉をモチーフにデザインしているようなのだけど、いもむしはともかく、れんこんは確かにそうだと思った。こういうわけで、これら水玉のTシャツは、いもむしTシャツとれんこんTシャツにもなった。

Untitled #1

街の構造が出会わせる

トークイベントの後、どうにも冷めやらぬ気持ちを泳がせておくように、例の商店街を大きく往復していた。

尾道の商店街は東西に長く、道幅が広いので歩きやすい。多くの人が、移動のためにここに入ってくる。その結果、反対方向に向かう人々とは商店街のどこかですれ違うことになる。片方があてもなく往復運動をしているならば尚更だった。

向こう側から、展覧会の中心人物と、京都から来ていたとある先生が歩いてくる。すれ違いざまに声をかけてくれた。トークで質問したことをきっかけに顔を覚えていてくれたらしい。こちらから声をかけるべきではなかったのかと、シュシと山手の道で出会った今朝のことを思い出す。

立ち話をしているうちに、お茶でもしようということになって、近くのカフェに入った。早く閉まるお店が多く、その辺りでは他に選択肢がなかった。

あれこれ話していると、そこにまた一人、展覧会の関係者がふらっと入ってきた。近場で開いてるのはここだったのだ、と。

果たして、街の構造が我々を出会わせる。
山手地区の複雑に入り組んだ道と、商店街の明快な道、それぞれに違った兆しがあった。

Untitled #2

渡舟のこと / 向島のこと

夕暮れごろ、渡舟に乗って向島へ行った。その名の通り、山手や商店街のある方から見て向こう側の島。渡舟に乗りたいと思っていたのだけど、乗っていなかった。乗る予定もなかった。それでも乗られたのだから、それはとても奇妙なことだった。

向島の堤防に座って、向こう側を眺めると、山手の建物たちがその気配を消していた。尾道水道も自ずからは波を立てずにひっそりとしている。街灯の光が、あまりブレないまま水面に広がっている。近くには砂浜が沈んでいるらしい。


本当に、多孔的に考えるためには、あらゆるアプリオリを議題に上げなければいけない。
あらゆるものごとが奇妙な状態にあるのだと捉えること。主-客体の論理とダンス踊りながら、すべてを並列化する。悪魔合体。


行き来する渡舟が起こす波が、印象以上の大きさになって堤防に寄せていた。

渡舟に乗って向こう側へと戻る。
同じように堤防に座って、向こう側を眺める。係留ロープの先、ブイの上にサギがいる。何かをしているように装っている。

内海のこと / 多孔的そのものになること

図らずも、この夏は内海にいることが多かった。プーケット島東部、小豆島、尾道。 その穏やかさにおいては、いったい何が外力なのか、可視的になりやすい。これまではそう思っていた(もちろんそうでもあるのだけど)。

ちょうど2週間前、論文を指導してもらう中で、論文がそのものが多孔的になることが大切じゃないか、ということになった。固定的なコンテクスチュアリズムを乗り越えて、あらゆるアプリオリを疑って、多孔的になっていくこと。これは書き手の問題でもあるのだと直感した。

そんな時、「決して偶然ではない偶然」に導かれてやってきた尾道。シュシたちのプロジェクトに、その兆しを見たように思った。あるいは彼女のあり方に。彼女が使う、「fake」や「random organize」,「energy」という言葉にも良いきっかけがありそうだった。

一方で、多孔的そのものになることの困難についても自覚するようになった。なってしまった。それは難しいかどうかではなく、辛いことなのかもしれない、という自覚だった。その辛さに目を見開いて向き合わなくてはならない。ここでは、なにひとつ、安定的なものになれやしない。見たくないものまで見ないといけない。内海は穏やかではない。

甘くて気の利いた言葉は近くにある。有限化と切断なのだと。
それもまた、これまで得てきた方法のひとつなのだけど、それに頼らないこのままのやり方で、いったいどこに行き着くのか、それにも興味がある。

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