タイでのこと / 踊り続けなければならないということ
「踊るんだよ」羊男は言った。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
僕は目を上げて、壁の上の影をしばらく見つめた。
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』講談社文庫,2004年,pp.182-183
2023年の8月終盤から9月序盤にかけてタイに行った。タイから京都へ留学に来ている先輩が帰国しているタイミングに合わせての訪問。彼のリサーチフィールドであるプーケットやバンコクを案内してもらった。何から何まで準備してもらって、本当にありがたい時間だった。南部のソンクラーや北東部にも行きたかったのだけど、日程の関係で今回は断念した。また近いうちに行きたい。
ここにはその間の断片的なスケッチを書き起こして残しておこうと思う。
すべてが相対的に生らしく感じられるタイでのこと。いつものように、多孔性ということはもちろん、「ダンスを踊る」という考えが、頭の中にあった。音を乗りこなし、ときには音に乗りこなされて、主客の関係のあいだで踊り続けること。ティモシー・モートンが言うように。
帰国後、ふと思い出して、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を10年ぶりに開いた。まだ高校生だったあの頃とは全く違った物語として見えた。メタファーによる多義性を実感する。踊り続けなければならない。音楽が続く限り。
プーケットオールドタウンへ
関西国際空港を離陸して約5時間後、飛行機はバンコク郊外の上空を旋回していた。 いつになっても、飛行機での移動は好きになれない。少しでも気分良く過ごすために、窓際の席を予約した。眼下には短冊形に整地された何かが広がる。その短辺は街道らしきものに面していて、その街道沿いに建物が建ち並ぶ。奇妙な光景。半ば意識的に、そう思った。
バンコクでプーケットへの国内線に乗り換える。同じように予約した窓際の席から、外の景色を眺めている。飛行機は、パンガー湾の東からプーケット島に向かっていた。人間活動の気配が少ないかのように見える場所から、少しずつ、その気配が目に見えてくる場所へ。電波塔、道路、広告塔。僕は飛行機の中にいた。
飛行機が滑走路に降り立つ。空港を機械的なやり方で通り抜ける。空港の中は長くは居られないぐらいに寒かった。過剰に感じる空調。少しの間、空港の外のベンチで友人を待つ。親近感のある生暖かい風が吹いていた。
彼はお姉さんの車を借りて迎えに来てくれた。その車でプーケット島の南東部、オールドタウンに向かった。
想像通り、バイクが多いなと思う。想像していなかったことに、車は荷台付きのピックアップトラックが多い。いすゞやトヨタのハイラックス。その荷台には5,6人の子どもたちが乗り合わせている。
彼らは、風に吹かれ続けていた。僕は、空調が効いたマツダのデミオから、その様子を眺めていた。
サパーンヒン公園のこと
オールドタウンに着いたころにはすっかり日が落ちていた。彼が手配してくれた宿 (ショップハウスを改装した素晴らしい宿だった) に荷物を置いて、近くのレストランでタイ南部の料理を食べた。角地にあって、通りに面した2辺を開け放っている。風が通り抜けて気持ちがいい場所だった。料理も美味しい。
その後、臨海部にあるサパーンヒン公園に行った。プーケットにはパブリックスペースが本当に少ないのだと聞いていた。この公園は数少ないそういう場所らしい。穏やかな内海に面したそこは、海との距離が近い場所だった。ティーネイジャーの集まりから、家族連れまで、さまざまな集団がそれぞれの場所で過ごしていた。さほど不思議な光景ではないはずなのに、妙に印象的だった。
車に戻って宿に戻ろうとする。信号待ちをしている間、前方を通り過ぎていくバイクが目に入ってくる。そのほどんどが2人乗り、時には3人乗りであることに意識が向かう。バイクに乗り合っているのか、人に乗り合っているのかわからないような、絡み合った距離の近さにハッとする。さっきのレストランでも、公園でも1人の人を見つけることは難しかった。ここは湿度の高い、まだまだ暑いタイの南部。人々は自然と体を寄せ合い、共になって風を浴びながら移動する。多孔的になって、連なっていく。
身に覚えのないノスタルジーが浮かんでくる。自分の記憶にはない過去、あるいはただ思い出せない過去が、意識や論理を置き去りにして、なぜかこの場所と接続している。単なる構造上の類似だったのだろうか。プーケットでの数日間、事あるごとに浮かんできた奇妙な感覚。
朝食のこと
プーケットに滞在している間は毎朝、違ったお店で朝ご飯を食べた。その多くが中華系の移民コミュニティによるもので、朝は6時前から営業を始めるらしい。中華系の移民たちは当初貧しく、とにかく労働時間を長くすることで、その状況を改善しようとしたらしい。それをコミュニティが支えた。朝食店は、より早くから営業を始めるようになる。そして、そのリズムが今に至るまで続いている。
Five-foot way のこと
朝食の後は町を歩いた。午前中はなんとか歩けるぐらいの暑さだった。
プーケットオールドタウンの旧市街には、19世紀後半以降に建てられたとされるショップハウスが建ち並ぶ。(ポルトガルの影響を指摘する声もあるらしいが、基本的にはペナンを経由した中華系の影響なのではないかと教えてくれた。実際ペナンとプーケットはとても似ている)
そのショップハウスの前面には「Five-foot way」と呼ばれる、細長い屋根付きの空間が、道路と並行に連なっている。本来的には、歩行者のためのパブリックスペースだったらしい。しかし、今日のプーケットでは、それぞれのショップハウス内の店舗が拡張された、ぶつ切りのプライベート空間になっていることが多い。故に、通り抜け可能な状況ではない。物で塞がれているケースはまだ可愛いもので、意図的なレベル差を設けたり、アーチ形の開口部をモルタルなどで埋めてしまっているケースも見られた。
彼は、このような現状には、いくつかの問題があるのだと教えてくれた。
ひとつには、そもそも「Five-foot way」は歩道であったため、そこが私有化されるとなると、当初は想定されていない歩道を追加しなければならないことがある。実際、ここでも車道幅をぎりぎり残しながら、その一部が歩道に変えられている。当然だが、十分な幅は無い。
ふたつには、その新たな歩道には屋根がないということである。「Five-foot way」は屋根付きの歩道であった。これはタイ南部の強い日差しを避けられると同時に、スコールなどの突然の雨の中でも、歩くことができる場所だったということである。
ここにもまた、多孔化の要請が起こり得るのかもしれない。
ショップハウスの多孔性、あるいはダンスを踊ること
オールドタウンを歩いている最中、ふと気になるショップハウスがあったので覗いてみた。オーナーらしき女性は建物のことを誇らしく語り、好きなだけ見て行っていいと伝えてくれた。そこもまた、朝食店だった。午前10時前、朝の混雑がすっかり落ち着いた頃だった。
ショップハウスは概して、奥行きが長い。ここも40m近くあるらしい。そうなると当然のように、複数の建物で構成される。それぞれの建物のあいだには、明かりを採るために、コートヤードがあるのだけど、時にそれは、建物の中にも差し込まれている。それもかなり大胆な大きさで。
このショップハウスの場合は、カウンターの奥にコートヤードが差し込まれていた。屋根も壁もない外。要するに、完全には内部化されないようになっているのだ。おかげで、建築の中を、ずっと安定した穏やかな風が通り抜けている。オールドタウンは海にほど近い。海陸風。
色々と話を聞いていると、タイでは強風を想定する必要ないことがわかった。台風はやってこない。スコールのような一時的な大雨はあるものの、それもただ垂直に降るだけだという。だから、排水さえうまくやれば、内部化する必要はないらしい。あるいは寒さを考慮する必要もないらしい。気温の変化は1年を通して小さく、最低気温は常に20度を超える。
根本的に違った音楽の中にあるのだ、と感じた。
抑揚の少ない、安定したリズムの繰り返し。ミニマル・ミュージック。直感的に、ダンスだ、と思う。この場所は踊れている。
多孔化の先で、いったいどうすればいいのか、うまく言葉を選ぶことができなかった。でもそこで、ダンスを踊らなければならない、ということが浮かんできた。耳の穴をかっぽじって、そこに流れている音楽で踊ること。踊り続けること。ひとまず、そうしておこう。
翌朝、このショップハウスで朝飯を食べた。昨日と同じような、穏やかで安定したリズムの風が吹いていた。
たった2日では、何も帰納できないと思いながらも、その2日間の印象強さだけを、そのまま持ち帰ろうとしている。
再び、サパーンヒン公園のこと
夕暮れ前、前回より少し早い時間にサパーンヒン公園に行った。海沿いの遊歩道を歩く。内海の、波の立たない海のリズムが、自分の歩くリズムにしみ込んでくる。振動数の異なる波が、奇妙に響き合っている。
空が広い、と感じた。さまざまな種類の雲が入り混じった空。この場所の天候の移ろいやすさによるものなのかと理由をつけて考えてみる。普段は意識的に見ていないだけで、どこにでもある光景なのかもしれない。ただ、つい、比較的に捉えようとしてしまうことが、すべてを台無しにしてしまうように思う。
すっかり日が暮れた後、近くのマーケットに移動して夜ご飯を食べた。
夕日のこと、あるいは圧倒的な他性のこと
夕方、島の最南部、Yanui Beachの近くの高台から夕陽を眺めていた。その手の名所らしく、徐々に人が集まってくる。皆が海の向こう側に沈もうとする太陽を見ている。その圧倒的な他性の前に、場所と時間、そしてわずかに意識までを共有している。
そのスケールにおいて、日ごろ重要である (かのように感じられる) 我々の差異が、あるいはそれぞれのリズムが、単純化されたように感じられる。かりそめの内側がつくられようとする。そこに内と外を分ける論理が働き始める。何かを対象化して、あるいは外において、内側で連帯しようとする。
どんなスケールの話であれ、内側に位置する安心と、その危険がある。
いったい何が良さそうなことで、何が良くなさそうなことかすらわからなくなる。ただ、そのわからなさの中に留まり続けることが、現時点では最も良さそうな態度なのだと思う。つまり、ここでもまた、ダンスを踊り続けなければならない。画一化されないリズムを踊り続けること。
タラ―トノーイのこと
プーケットで過ごした後は、バンコクに移動した。 しかしながら、バンコクに来てからは、微妙な不調が続いた。注意が散漫になりがちで、体も頭も思うようには働かなかった。残念だったけれど、仕方ない。
バンコクではタラ―トノーイという地区が拠点になった。ここもまた中華系の移民コミュニティのエリアである。例に洩れず、飲食店がそこら中に建ち並び、その脇には建材店やバイクの部品を扱うお店などがひしめき合っていた。
1か所、とても印象に残っている光景がある。
ほどよく見通せない具合にカーブした道だった。向こう側からは時折バイクがやってくる。脇の大木からは気根が垂れ下がり、葉っぱが漏らした光がそこに当たってチラチラとしている。弱い風が、それらを揺らす。その脇では年配の方々が座って話している。
取り留めようもなく、刻々と光景が変わっていくタラ―トノーイの複雑なシークエンスの中で、妙に波長が合った場所。
片目の茶トラ猫のこと
宿の近くに片目の茶トラ猫がいた。 隣のゲストハウスで寝泊まりしているようだった。妙に愛らしく、ときどき遊んでもらった。
広告塔の多孔性、あるいは有ることと無いことのあいだでダンスを踊ること
最終日、バンコク中心部から高速鉄道に乗って、スワナンプーム国際空港に向かった。 車窓からは、巨大な広告棟が建ち並ぶ光景が見える。高架を走る鉄道からよく見えるよう意図された巨大な広告棟。それはときに、広告がない広告塔でもあった。プーケットの空港近くにも、同じような光景が広がっていたことを思い出す。
タイでの時間を通して、多孔性という言葉からどう物事を捉えられるか、あらためて考えようとしていた。頭の片隅程度だったけれど。
1つは、ダンスを踊らなければならないということだった。それも踊り続けること。あらゆるとりまくものとダンスを踊ること。そのためには、何かを無視しようとしてはいけない、耳を塞ごうとしてもいけない。独りよがりになってもいけない。多孔化しなければ、本当にはダンスを踊ることはできない。
もう1つ浮かんできたのは、有ることと無いことのあいだになっていく、ということだった。そもそも多孔性とは、特に地理学の分野では、二項対立では語れない、あいだにあるものごとを捉えようとする概念だった。あの広告塔は、有ることと無いことのあいだにあるようだった。あるいは空き家(という言葉は使いたくないが)だってそうかもしれない。有る/無いの二元論に基づく思考を脱構築するための多孔性。つまりそれは、有ることと無いことのあいだでダンスを踊り続けることなのだろう。あえて言うなら、人間も、建築も。
かなり思考がぐるぐると廻りまわっているいるので、この辺りで一旦区切りにしようと思う。
タイで過ごした素晴らしい時間。案内してくれた彼に感謝したい。ありがとう。