260413 近頃のこと

3月半ば、関わっている場所で2年連続2度目の微改修。
場所の全体に対しては1%にも満たない部分に手を加える。

別で関わっている場所には、その小さな部分と同じくらいの床面積の住居がある。そういう複数の場所のことを同時に考えているからか、この時代の大きさや小ささに関心を向けるようになった。当たり前のことだが、それぞれに良さがある。だから、お互いにないものをねだるのではなくて、あるものから表現を見出したほうがいい。と思っていろいろ検討する。それが意外と難しい。

メルロ・ポンティの『眼と精神』を読んだ。
難しかったけど、印象に残る部分が多々あった。

4月の初め、世話になってる人の手伝いで数日間だけ解体作業に参加する。毎年この時期に解体を手伝うのが恒例になりつつある。とにかく場数を踏んで、建物を練習するのが大切だということもあるだろう。恩師は建築することはある種のスポーツなのだと言っていた。

早朝に集合して、コンビニのコーヒーを流れるように買い、それを飲みながらどこかへ向かう。コーヒーを飲んでいるという感覚はない。国際情勢は国道一号線沿いのガソリン・スタンドの掲示を通して価格の問題となり、そこでの議論はいたってシンプルな構図となる。郊外の住宅地、バブル期に建てられた木造二階建ての戸建て住宅。なぜか850mmのモジュールで建てられていて、各所の寸法に違和感が伴う。

丸一日以上かかって在来工法のお風呂を解体して、タイルの下にしみこんでいた水の跳ね返りを浴びる。夕方、軒先で色々と洗っていると、通り過ぎる人の目線を浴びる。体が自分から離れた道具のように思える。疲労と目線が身体と意識のあいだを広げていく。解体現場はだいたい薄暗くて湿っている(のに乾燥してる)からか、太陽の光を浴びるといろんなものがさわやかになる感じがする。1日の初めに朝日を浴びるような気持ちで夕日を浴びる。いろんな溝がまた塞がっていく感じがする。

大量の廃棄物を持ってどこかに行く。産廃処理施設に漂う空気はとても面白い。建物といっても、人間のスケールを相手にしていない大きさであって、そういうものには妙な居心地の良さがある。もちろん、それは物理的な大きさだけではなく、制度としての大きさでもあって、空間がどこに目線を向けているのかということでもある気がする(それが人間にはよく分からないという意味でも)。そういう感覚を、たとえばティモシー・モートンが言うような意味でのアンビエンスなのだとすることもできると思う。空気はその場辺りを蠢くばかりでどこにも流れていかない。

汚れているときほど、むしろ温浴施設には行きづらいと感じていることに気が付く。車で移動したい人たちの気持ちがよく分かる。昔に読んでずいぶんとくらった網野善彦の『無縁・公界・楽』を思い出す。でかい駐車場があるラーメン屋は最高。大切なのはバランス感覚。
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少し前に『Parallax 1』という本を出版しました。ぜひ買って読んでください。ここからオンラインでも買えます。
ここまで書いたような角度からも読むことができる本だと思いました。だからこそ、自分にとってリアルでアクチュアルなものになったと感じています。
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京都の恵文社さんで『Parallax 1』の出版フェアとして、関連本を並べた書棚をつくってもらえることになった。
それで自分もいくつか本を選び、その1つである夏目漱石の『それから』を読み直す。いつのまにか20代も終盤になった自身の年齢的に、冒頭を読むだけでもグッとくるところがある。
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恵文社さんでは、ありがたいことに4月29日(水・祝)にはイベントも開催させていただくのでぜひ遊びに来てください。詳細はこちらです。冒頭のトークイベントはフォームから要予約です。
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博士課程に入って1本目の論文を書いて、それを調整している。最近は1960年代から80年代にかけての日本の建築界の動向を、ある建築家の視点から見ている。論文を書くときは、あたかも研究者であるかのようなフリをして書く、みたいな感覚がある。設計者としての関心は、ある状況において何をもって建築を決めていくことができるか、ということになる(もちろん、決定しないことや、宙吊りにされることも含めての決定ではあるが…)。だからこそ、他人の言葉やつくったものを見るときには、そこを知りたいと思うし、それ以外に参考にできるところはあんまりない。

決定には避けがたく時代の空気感が伴ってくる。では、この時代においてはそれはなんなのか、という問題に戻ってくる。時代を空間として示すことは究極的な目的にはならないが、建築という長い会話の通過地点としては有意義なのかもしれないと考えるようになった。

博士課程に入って1年が経った。この間、特定の人物の活動について多くを知ろうとすることが随分楽しいと知った。案外、新聞の連載記事なんかに過去の素敵な写真が載っていて、それがすっと自分の内側に入り込んでくると、かえって自分の方がそのイメージの空気の中に深く沈み込んでいく。

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260103 自宅にて